日本を離れた理由

business.nikkei.com

確かに。その気色悪い愛社精神が残業や無駄でクダラナイ飲み会(宴会)などを生み出すのだろう。
米欧にも、皆で一つのことに取り組んで結果を出そうという精神は勿論あるが、だからといってダラダラと終わりの無い業務時間や嫌々参加する飲み会などは皆無。
己は己、人は人。個は個、全体は全体と明確に分けて考えるし行動する。
自分を犠牲にしてでも人のためにみんなのために尽くす、これは日本人が大好きなテーマだ。が、これは私にとって、日本で暮らしていた時の最大の枷だった。

日本のドラマなどを観ていても素敵な設定や背景や演出が折角あっても、なんでここまで他人の領域に入りたがるんだろうと、そのお節介や愛がダサくて鬱陶しい。
といって、ちゃんと人に応えるべき時には知らんぷりしてみたり、突如として変に距離を置いてみたり、かと思えば「ここまで訊くか?」という立ち入った質問を平気でして来たりと、いったい何を考えているのか分からないというのも日本人特有の表現法だ。
「個」を尊重するという意味合いが日本と米欧ではまるで違う。
カナダやフランスで生活するようになってからは本当に楽になった。
まさにそれは自由と解放であり、自分の好きなように生きて話して、そんな自分を周りは大切に、そして理解してくれる。自分も同様に、個を尊重し、決して人の個の部分には立ち入らない。だからお互いにのびのびゆったりと暮らせるし、心底気持ちの良い深呼吸が出来る。誰とも何も強制し合わず。だからとてもゆったりとしていて楽しい。

日本には日本のやり方があり、あの戸籍法が示すように家を中心として家を大切に守り、周りの人々との調和を大切に、どんな場でもとにかく「和」を重視して大切にする、それが日本のやり方だ。
私にはそれは到底できないことなので海外での暮らしを選んだだけ。
生まれた国が日本なので日本は母国であり、人種が大和民族であること、それに誇りを持っていることも変わりなく。国籍も日本。これはたぶん一生。
自分から生まれて来た我が子たちと話す時も日本語のみで話す。
西洋人に憧れて、愚かにも西洋人化するような、そんなはしたないことを私は決してしないし出来ない。
話す際だけに仕方なく相手に合わせてフランス語や英語を使うが、書く際には今や翻訳機能も普通にあるので、日本以外での国での法的・公的書類以外は全て母国語である日本語を使う。
これは私の中での鉄則。老いて尚更である。
FBやツイッターやブログなどは私にとっては日記みたいなものなので、こんな時ぐらいは母国語で好きなように書かせてくれ。
そんなことにまでいちいち字数や言語を強制・限定するような輩は一切お断り。悪しからず。


ランキングに参加しています。
にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へ
にほんブログ村