長生きしない準備

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長寿大国も結構だが、日本の場合は、その大半が寝たきりや認知症であろう。
また、それだけの膨大な数の高齢者を抱えるということは、その国にとっては同じく膨大な苦脳と労力を抱えるわけで、生半可には喜べないというのが正直なところであろう。
老齢年金配給にしても昔の人たちだからかなりの月額だろうし。

ところで私は決して長生きはしたくない。
次世代・若い世代に少しでも迷惑を掛けたくないからだ。
身体の悪い部分は全部で4ヵ所あるが、そのうちの2ヵ所の治療は自ら放棄した。
70歳ぐらいまで何とか生きられればもうそれで充分。
この世に未練は全く無い。
やるべきことはちゃんとやって来たし、あと7、8年生きられれば、いや、何だったらもっと短くてもよい、とにかく長生きは絶対にしたくない。
治療を放棄すればどんどん命は縮まるし、それによって莫大な医療費が掛かるというわけでも無く。
だから治療を放棄したのだ。

遺産も我が子たちに引き継ぎ、埋葬場所も決まっていて、もういつでも死ねる状況だ。
尊厳死ケベック州の場合、一時期認められた時もあったが、とにかくいつの時代も法律はいつも厳しく。
まぁそれも当然のことだろうが。
しかし、治療を放棄することは可能なのだ。
医療費をほぼ掛けずに少しずつ弱って死んでいく。
あんな80代にもなって周りに迷惑を掛けながらこの世にへばりつく日本の政治家たちみたいな、みっともないことだけは決してしたくない。
だいたい日本の政治家というのは40代でもパパ活なんていう変なのもいるからあまり年齢は関係無いのかも知れないが、60歳ぐらいからどんどん変な政治家が増えて来ているのは確かだし、だいたい首相からして視点のズレたオッサンだしねw
正しい判断が出来なくなったらもうこの世に生きていても何もならず。
生きているだけ無駄、ということでもある。
認知症になってまで生きるなんて絶対に絶対に嫌だ。
認知症がどんな酷いものか、実父と夫の最期を知っているから、あれだけは絶対に避けたいのだ。

死に向かって生きるなんて夢も希望も無さそうに聞こえるかも知れないが、でも人間はいずれ誰もが死ぬのだ。
遅かれ早かれ、ってやつですね。
愛する我が子たちと、そして愛する彼に看取られて死ぬなんてこの上ない幸せである。