【日本は羨ましい国?】海外から見ると日本は資産形成しやすく恵まれた国である理由  マネーの達人

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あのままずっと日本に住み続けていたら今頃たぶんこの記事を読んで大いに賛同していたことだろう。
日本に関して、日本での生活に関して、多少の疑問や不満があったとしても、マスメディアだけから得る海外情報を元に、日本はこれだけ恵まれているのだ!と少しでも思い込もうとすることだろう。
福島原発の爆発が無ければ、とも言えるだろう。

先ず、現在の日本は間違っても経済大国では無い。
「サラリーマンの生涯賃金は約2億円」というのは今現在60代前後から上の世代のみに限られ、これは老齢年金にも言えることだ。
海外先進国の中でも日本は一番安月給の国であるのは間違い無い。
そして老齢年金額も飛び切り低く、今後もどんどんその支給額は下がる一方であろう。

私の嘗ての同期や同級生たちと比べてみても、65歳過ぎまでがむしゃらに働き続けている彼らや、我儘な夫に尽くし続けて来た専業主婦たちと、そして51歳でさっさと退職して以来のんびりと遊び暮らしている私とでは、完全に私のほうが勝った(まさった)暮らしをしているのも、日本での暮らし自体が実際には大したことが無いことを証明しているようなものである。
「1,000万円や2,000万円といった程度の資産を築く」ことに関しても、億単位の資産を築くのはなかなか難しいことであろう。
私の資産は以下の資料からみると「富裕層」に相当し、間もなく「超富裕層」の域に入る。
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最初は不動産投資から始まった。
フランスはパリの、パリの中心地の、パリ市内で最高値を記録しているパリ6区の物件を購入したことから全ては始まった。
此処から私の人生はすっかり変わってしまった。
パリ郊外にしても価値のあるところだけを選んで購入した。
特にブリジット・バルドー氏やアラン・ドロン氏などフランスの俳優たちが自分たちの資産を守るために不動産を購入した場所だけを選んだ。
これは完全に正解だった。
郷に入れば郷に従え、というのはこういうことなのかと改めて思い知らされた次第。

そして今ではフランスへの不動産投資は此処までとし、後は俗に言う利息が利息を生み出す、という展開だ。
だからもう何もしなくても生きて行けるわけです。

「世界トップクラスの治安の良さ」とは決して思わない。
何故なら日本でこそ、恐ろしい思いを何度か経験しているからです。
最寄りの駅から自宅に歩いて帰る途中に昼夜関係無く襲われそうになったことが数回ある。
我が両親もそれぞれ恐い思いを経験している。
子供時代にも誘拐されそうになったことが私の記憶に残っているだけでも複数回ある。
今、こうして生きていること自体、不思議に思えるような、それだけ恐ろしい経験が複数回あったのは事実。
長年に渡って車の運転もして来たが無事故無違反、そして恐い思いは一度もしなかった。
せいぜい冬に路面が凍結して滑りそうになった程度。

で、カナダに移住して以来、身に危険を感じた経験はまだゼロ、である。
確かに目の前で人が銃殺されるのを目撃したことはあるが、自分が狙われたわけでは無く。
DVの恐れを感じて警察に通報したこともあるが、直接DVを受けたことは無い。
脅迫や拘束、束縛の恐怖はあったが、州の警察から守られ、法廷で加害者は裁かれた。
今でも州は私を守り続けていて、これは一生のことである。

日本の医療費はだいたいカナダ他の州ぐらい。
私が暮らすケベック州での医療費は歯科以外は全て無料。
日本ではかなり高額な請求が為される手術や出産費用も此処ではタダ。
私が現在2週間毎に受けている治療も日本では7万円以上するが、此処では無料。
しかも正常な歩行が不可となった今では看護師が我が家を訪問して治療してくれる。

「高齢層においても収入を得るチャンスが多い」のは、あの年金額の低さを見ても一目瞭然のことであろう。
年金だけを当てにしていたのでは日本では命に関わることも無きにしも非ずであるわけだから。

日本ではどんなに貯金したところで利息はほぼゼロに等しく。
だから利息だけで暮らすなどということは夢のまた夢。

「不満を言う」などという感情論ばかりが日本では一人歩きしているようだが、感情論は何の進歩にも特にもならず。
現実を見据えるだけでいい。
心情は各人が持つものであって、それで国を動かそうとしても不可能。
現実を現実として受け止め、数と数として考える他は無い。

もし私が日本で暮らすとしたら、、先ず今の状況では不可能ではあるが、これは空想だけの話で、もしあのまま私が日本で暮らしていたとしたら、、
とにかく現役時代は懸命に働くだけ働き、少しでも得になる方法で貯蓄し、健康上などにおける手当で頂戴できるものがあれば全て頂戴し、60歳を過ぎたら、もしそれまで不動産などを持っていれば売却し、地方の小さな目立たない介護付き高齢者住居で暮らし、たぶんあのまま日本に居たとすれば間違っても再婚などせず、だから全ては長男に継がせ、市町村が許可する場所にて散骨して、墓など死後もお金の掛かるようなことは避けたであろう。

今ふと思うことは、日本であろうと此処ケベックであろうと60歳以降の生活は小さく小さく、少しでも小さく。
資産を少しでも保持するためにはそれしか方法は無い。
長男はたぶん30歳ぐらいで日本を離れてカナダ、しかもなんとかして調べ上げてケベック州への移住を目指したことだろうと、長男本人曰く。
それに私が同行することは有り得ず、たぶんそのまま日本で生涯を閉じるという人生だったであろう。