残念な日本のマスメディア そしてもっと残念な日本政府

何の罪もない読者たちに対する誹謗中傷的な記事が日本では圧倒的に多いように感じる。
折角記事を読んでくれる人々に対して失礼極まりない、というか非常に感情的な記事を書いて筆者たちも鬱憤晴らしをするんだろうけど、それこそ日本人特有のやり方だ、と痛感する今日この頃。
そんな記事は決して自分の貴重なツイッターになど極力持ち込まないが、これらによってかなりメンタルにダメージを受ける人や洗脳される人も多くいると思う。
まさか名指しで書けないからそうやって公的文面に書いて結局は名も知らぬ人々への虐め以外の何ものでも無い、と私は思う。

米欧はみんな各人が言いたいことを言う。
法律を守っていればある程度の発言も許される。
だからこそツイッターやFBには利用者に与えられた権限があるわけで、各人が誹謗中傷を避けることが可能な機能が次々と追加されているわけで。

日本では言論の自由さえも奪おうとする、まさに世界第二次大戦時代の日本そのものである。
当時と何も変わっていない。
一人だけ飛びぬけたことをやったり言ったりすることを日本人は決して許そうとせずそれを一個性として認めるなんて死んでもしない。
元々そういう国であるのは私も一日本人として知っているが決して理解はしていないし理解しようとも思っていない。

今回のコロナ禍と皇室云々で更にその変な日本人力が全開、フル回転しながらどんどん強まっているように感じる。
こうして海外から眺めていると尚更のこと。

なぜ解決策を国が練らないのだろうと実に不思議に思う。
そうやって国がボンヤリしているから国民同士で傷付け合うことになるのだ。
自分たちに都合の悪い事態になって来ると日本政府はいつも同じことばかりを繰り返す。
これも大戦当時と何ら変わらず。

要するに「臭いものに蓋をする」ことだけに必死で、肝心の脳をフルに使うことを忘れてしまう。
悪だくみや悪知恵だけは世界一の政府のくせに。
ワクチン接種にしても不安がる人々を邪険に扱う記事を読んで呆れ果てた。
人によっては副作用や副反応は強く、しかもそれを2回も受けるわけだから、1回目の際に問題があれば当然2回目を受ける時にどれだけ恐いだろうと。
副作用や副反応を「気のせい」などと軽く片付けてしまうのは非常に危険なことだ。
最悪の場合、命にも関わることだからである。

此処ケベックシティの会場でもパニックになっている人を数人見掛けたが、その時の回りのカナダ人たちの反応は様々で、ジッと目を瞑って我慢している人、不安がる他の人々を大丈夫だろうかと見守る人、「いい齢の大人が。ふん」とわざわざ聞こえよがしに声に出して言う人、そういう意地悪な人を睨みつける人もいれば「ほんとにそうそう」と意地悪そうな表情で同調する人もいる。
何処の国も人間の反応なんてだいたい同じようなものだ。
カナダが日本と違うのは多くの人々に対応する国や州の態勢だ。
「みんなも我慢しているんだからオマエも我慢しろ」ということだけは絶対に無い。
何処の会場もみんな優しい人ばかり、と言いたいところだが、ワクチン最初の頃の3月4月頃は職員たちも慣れないことでみんなしてビクビクしていたが、その中に変に勇気を持った看護師がいたりして思わず笑ってしまったり、みんなで声を掛け合いながら一緒に前進して行ったように記憶している。
会場の多くの知らない人たちと私も話してそれで気持ちがだいぶ楽になった。
しかもあんなカッコイイ人から接種されるのも不安を吹き飛ばす大きな原因となった(笑)
看護師も保健師も医師もみんなフレンドリーだしとにかくカナダ人たちはよく喋る。
初対面だろうが何だろうがとにかく喋りたがる人が圧倒的に多い。
自分の気持ちを吐き出すと信じられないほど気持ちも不安も軽くなる。
相手が誰であれ、などと言うとちょっと乱暴に聞こえるかも知れないが、話し掛けることで自分も、そしてもしかしたら相手もホッとしているのかも知れない。

そういう訓練をカナダ人たちは幼い頃から教育を受けている。
自分の気持ちを吐いたり訴える時に人道人権を念頭に法に触れないように名誉棄損などならぬよう自分の気持ちや意見を伝える・訴える、その訓練を保育園児ぐらいからずっと繰り返す。
公共の場でも家庭でも。
もちろん中には頑固な石や冷たい氷みたいな例外もいるが。
人間だから当然ではあるが。

日本は全くその逆。
とにかくその場を統一させないと気が済まず、何かちょっと変わった方向を向いたりすると真っ先に叩かれて虐められ仲間外れにされる。
いや、何もしなくてもそうなることも多々ある。
なんかもうそこにいるだけで、というか存在自体が許せないみたいな、凄まじく憎しみの塊みたいのもいる。
あれにはほんとに驚かされる。
日本人の嫉妬深さの度合いは世界一だと思う。
負けず嫌いから来る一つの国民性なのだろう。
だから外国人、特に白人系の米欧人たちには滅茶苦茶弱いのも人種的なものから来ていると思う。

人真似も多い。
すぐに人の真似をする、しかも「お借りします」「参考にさせて頂きます」などの言葉は一切無く、黙ってコソコソと盗んで行くコソ泥も多い。

また、読者の気持ちを逆撫でしようとする、国民を更に怒らせよう、もっと混乱させようとまるで罠仕掛けするような記事も多い。
ああいうのも一つの「操作」なのだろう。
ほんとに情けなく思う。
どんな筆者なんだろうと呆れつつも閑に任せて検索すると教養も無く育ちの悪そうなのばかりが揃っているのも特徴だ。
中には日本国内で有罪判決を受けていたりする「前科者」や「容疑者」さえもいる。
だからこそあれだけ品位に欠ける内容も書けるのであろう。
またそういうのを煽って利用しまくる背後の存在である出版社などがあってのことだろう。
日本に帰ったら法廷に出なければならない、だから海外に逃亡しているようなそんな犯罪者みたいなのに記事を書かせては得意になっている出版社もつまりは共犯者となるわけだし、だいたい低俗極まりなく、プライドというものが無いのか、自分たちの下品さにうんざりしないのかと、これはいつも不思議に思う。
よくあそこまで堕ちることが出来るものだなぁ、と。

こうして自分の母国の国力がどんどん落ち目になって行くのを遥か彼方から眺めていると心底失望する。
頭脳明晰さでは(そういう前科者や詐欺師たちは別として)世界トップなのにほんとに惜しい。

国民に向かって「四の五の言わずに」だのと無理やり抑圧するような、特権を持つ政治家や皇室だけを優遇するような、自分たちさえよければ他はどうでもいい的な記事には興味ゼロ。
国民、読者の立場で書いている記事だけを拾って読むようにしている。

もう既にコロナ禍以前から、そしてコロナ禍中において尚更のこと苦しみを背負わされる国民の前であんな小室親子のような信じ難いものばかリ見せつけられてはどうにも納得いかないという人々で溢れるのは当然。
しかもそれなりの功績があれば未だしもあんな似非キャリアやプロフィールの数々、揚句には皇室までも利用するあんな変なのが登場すれば国民は当然動揺するだろう。
それをみっともないだの諦めが悪いだのと国民を一斉に抑え込もうとするあの日本特有の腐敗臭ぷんぷんな空気が嫌なのだ。
米国現地の人々にとっても難しいことをあんなポンコツ親子みたいなのに出来るわけが無い。
もし出来るとしたら多大なカネを積んだであろう疑惑も生じる。
そのカネはどこから?と誰もが思うことだろう。
それが自然な流れであろう。
散々借金人生を送って来たような輩に何処からカネが流れているのか、そんなことは一目瞭然だろう。
それだったらそれで、「国から一時的に借金してしまいました。これから2人で懸命に働いて返して行きます」と正直に言えばまだいいものを29歳やそこらであんなクソ生意気な態度だからこっちもいちいち腹が立つんだよ。

今はSNSの時代。
似非プロフィールなどはすぐにバレる時代だ。
法律事務所の事務員など北米ではバイトの大学生が殆ど。
我が子たちの同級生のお母さんたちにもごく一般的な職業だ。
高卒で充分。
そういう職種であることを日本の人たちに知ってほしい。
海外のデータなど今でも誰でも収集することが出来る時代だ。
だから嘘をつけば簡単にバレるわけです。


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