寄り添うだけでは助けられない 助けるための具体策を!

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このような試みは私が学生時代から、要するにいつの時代にもある。
私の時代は電話での悩み相談室などが各都道府県などに設けられていた。
しかし、いつの時代にもそれらによって自殺者や悩める人が減少するということは残念ながらあまり無い。
具体策を明確に指示・指導されないからだ。
優しい言葉をかける、悲しむ人に寄り添う、そんなことは誰にでも出来る。
それよりも何よりも先ずはどうしたら困っている・悲しんでいる人たちを助けることが出来るのか、先ずそこから考えないとただの堂々巡りで終わってしまう。
例えば医療も同様だ。
ただ優しい言葉を患者に掛けたところで実際に病気は治らない。
治療をしなければ治らない。
それと同じく、実際に具体的に明確に正しく困っている人たちを助けなければ何の意味もない。
米欧一般のこの方法が日本ではなかなか難しいようだ。
命に関わることは生易しい思いやり程度では到底助けることは出来ない。
具体的に、明日からの生活をどうしたらいいのか、その方法を一緒に考え、国や州が、日本であれば都道府県が行なっている行政窓口での手続きの段階に進まなければ何もならない。
「大丈夫?」では済まないのだ。
大丈夫では無いから救いを求めて来るわけだから。
また、日本の場合、法律が非常に古臭く、明治時代頃の法律がまだまだ残っていて、そのために事が運ばないことが圧倒的に多い。
どんなに助けたくても法律が邪魔をして出来ないことも少なくない。

日本では慈善事業を始めるとなると一人だけ一ヵ所だけが全責任を背負うような社会構成になっているが為に助ける方も助けられる方も総倒れになるケースが多い。
話を聞く窓口、そこで終わってしまうこともあるのでは?
それも致し方ない。なぜなら日本政府が関わっていることは殆ど無いからだ。
個人レベルでの偽善活動は非常に困難である。
例えばカナダの場合、国や州の政府、警察や病院などが総動員で助けるので対応は世界の中でも特に早い方だろう。
そういう各場所でそれぞれ頼もしい言葉を掛けられ続けていると人間というのは不思議なものでほぼ半分は助けられた状況になるらしい。
救急車などを呼んだ際に救急隊の人たちの呼び掛けで心強くなる、まさにあの作用だ。
今にも死にそうな人がその呼び掛けだけで生き返る場合もある。
普段の日常的な助けもそのくらいの強力で効果的な呼び掛け、声掛けが必要だ。
なにも大声を出して助けろと言っているのではなく、助ける時は本気で助けないと意味が無い、ということ。
だから助ける方にもある程度の勇気や構えが必要。
それが出来なければ下手に声掛けなどはしない方がいい。


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