因果応報 偽善嫌いな私なりの性悪説

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因果応報は必ずある。
時間は掛かるが必ずある。
自分の代わりに何かに誰かによって裁かれる。
人の心身に生涯の傷を負わせるような滓にはそれなりの天罰が待っている。

滓への身の毛がよだつような恨み辛みを踏み台にして自分を奮い立たせ、憎悪する力で充分幸せになれる。
恨むな、忘れろ、時には許せなどという偽聖人もいたりするが生涯恨むことになるのは確か。
それだったらその恨む力を利用して立ち上がればいい。
強くなった人間には想像以上の力と幸せがやって来る。
恨んで恨んで恨み尽くすと不思議なもので急に世界が変わって来る。
恨む力というのは相当なものなのでその力で生きるわけだから信じられない結果になることも。
もちろん「良い」結果に。
これはその膨大な力の使いようかも知れない。
被害者だったはずの自分がいつの間に違う次元に暮らしている、そんな感じ。
苦しんだり人を恨むことによってその力の使い方次第では自分自身が凄まじく成長もする。

今は医学もかなり進んで来ている。
人から故意に、もしくは無意識に受けた行為により、自分の手首や目を失った人をケベックで知っているが再度医療の力で復帰している。
その1人は薬剤師として、もう1人は弁護士として活躍している。
幸せは人から与えられるものではなく自分で作った方が確実だ。
時間は掛かるが決して諦めずに1ミリでもいいから前に進めばいい。
あ、もう1人いた。
人から棒で耳を突かれて障害者となったが国と州からの障害手当てをこつこつ貯めて、ケベック州東部の海岸沿いに家を建てて優雅に暮らしている人も知っている。
悪い状況を逆に利用して幸せになる方法もある。
彼らはそれこそSNSで幸せな様子を発信している。
自分がそこまで幸せになるといつ間に滓は脳裏から消えたりもする。
滓はどうでもいい。
必ずその辺で野垂れ死にする運命が殆どだ。
これ、嘘では無くほんとに。
周りを見渡してもほんとにそう。

復讐心というのはあまり持たない方がいい。
人の不幸を望むのは止めた方がいい。
「殺してやる」だの「苦しめてやる」という悪意はあまり役に立たない。
役に立たないどころか自分で自分の首を絞めることになる。
「決して許さない」止まりにしておいた方が身の為だし何かと無難。


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