パリ8区 モンテーニュ通り

この通りには、カナダ大使館がある。

立て札の出ている出入り口は、カナダへの移住を希望する人が対象で、時には外まで列を作ることもある。
我々家族のような、カナダ人や、カナダ永住者は、もう一つ向こうの、小さなスロープの付いた出入り口が用意されている。


生活言語が同じフランス語ということもあって、フランスからケベック州に移住する人は年々増えている。
わが家のお隣の湖の住宅街では、フランス人コミュニティーもあるほどの人気だ。
最初は、ケベックに別荘を持ち、そのうち移住するというパターンが圧倒的に多いらしい。


フランス人はケベック人に対して友好的だが、ケベック人はフランス人に対して一般的にあまり態度が良くない。
もちろん例外はあるが。
例えば、フランス人たちのフランス語を「気取りやがって!」とバカにしたりするのである。
「よくバカに出来るよな、自分たちはあんなズーズーなフランス語を使ってるくせに」と、私は断然フランス勢に肩を持つけどね。
そんなわけで、ケベックで生活し難いからと、フランスに帰ってしまうフランス人もいる。


私の仕事の同僚にもフランス人はかなりいるが、よくケベック人たちは彼らを「あの鼻にかかったフランス語が嫌いだ」とか「オーデコロンの匂いが鼻につく」とか「パリの匂いが好きになれない」とか、まぁ言いたい放題である。
その度に私は、「自分たちだってカエルみたいな発音するじゃない?」とか「豚のピピ(おしっこ)を使った肥料の悪臭を何とも感じてないじゃん、ケベック人たちは」とか反論するのである。
すると、「お前はフランス贔屓だからな〜(やんややんや┌|*゚o゚|┘ウホウホ )」とみんなから冷やかされる。
基本的に私は、彼らから見れば、中立的な人種(日本人)なので、つまりは外野的な存在なんである。
でも、猛烈にフランスを庇う私を、ケベック人たちが冷やかしてみたい的な部分もあるようだ。


ケベック在住のフランス人たちは、そんな私にとても友好的だ。
コミュニティーの会合には、必ず招待状が来るし、「いつの日か私たちと一緒にフランスに〈帰ろう〉」とよく言われる。
そんな私をケベック人たちは、「お前はケベック人だよな?な?」とこれまた引っ張り込もうと必死だ。
人種というのは、無意識に自分サイドの人間を増やそう増やそうとするというのを以前に聞いたことがあるけど、こうして目の当たりにすると実に面白いものである。
所詮、フランス人もケベック人も出処は同じなのに、大西洋を挟んでいるだけで、これだけいろいろな違いが生まれるんだね。
興味深いものだ。




ところで、この通りには、私が友人と劇的な?出会いをした場所がある。
私が22歳、相方が30歳だった。
もうすでに私は一児の母だったが、まるで子供みたいだった。

友人から私はたくさんのことを学んだ。
別れてから長年会うこともなく時間が流れ、お互いに40代と50代になって、また再会した。
か細かった私は勇ましい「かあちゃん」体型となり、友人はツルピカ頭になっていた。
アルツハイマーの父を連れての家族珍道中での再会だったので、感傷に浸る時間もあまりないまま、でもそれなりに楽しい再会ドラマが展開されたのであった。

友人は、ここにお店を持っていた。
数年後に友人は、この場所をルイ・ヴィトンに売って、ここから2本凱旋門寄りの通りに引っ越した。
その後、ルイ・ヴィトンがどこに売って、それからどうなってこうなって・・・という詳しいことは知らないが、今は小さなオートクチュールのお店になっているようだ。
パリで友人に会うと、二人で必ずこの場所に来る。
私たちの「原点」に帰って、二人で時間の流れを見つめる。



ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
☆応援よろしくお願いします☆