海外生活で思うこと

電話にしても何にしても生活していくにはあらゆる交渉事が必要だが、海外での生活では言葉や習慣、人種差別などの問題が絡んで、なかなか難しいものである。
こういう時こそ、配偶者や恋人の助けが必要だ。特にそれをしみじみと思い知らされるのが「病院」。
病院の予約も下手すると、半年先、一年先にやっと予約が取れるなんてことがよくある。
重病だったら死んでしまうじゃないか!ってほんとに死んでしまう人が続出している事実が表面化して、よくそれがニュースなどで取り上げられている。
ケベックの場合、一般的な手順としては先ずホームドクターに診てもらう → 問題があるときは、その医者から紹介状を書いてもらう → その足で総合病院へ行く → 専門的な診察を受ける、というのが通常なのだが、言葉がうまく通じなかったりすると、総合病院の受付で門前払い、もしくは予約を取るように言われる。
これは医療裁判の材料になるほどの好ましくないことなのだが、相手が外人とみると、そういうずさんな対応をする者がいるのは確か。
一番いいことは、紹介状を持っていきなり救急病棟に駆け込むことだ。
ホームドクターが紹介状を書く時は、確かに救急処置が必要なことも多々あるからだ。
ケベックに住むようになってから私は今までに一人で病院に行ったことは無い。
必ず、夫か長男かケベック人の友達か夫の身内の誰かが付き添ってくれる。
一人で行ったのは、歯医者でのデンタルクリーニングの時と妊娠中の定期検診ぐらいかな。


ケベック人なんかもっと賑々しいですぜ。
待合室で観察していると、言葉なんか何の不自由もないのに、ほとんど付き添いが同行している。付き添いどころか、たかが指一本の捻挫くらいで、一族がゾロゾロとくっ付いて来て、やれああでもない、こうでもないと大騒ぎしているのなんかザラ。
人が生まれたり、死んだりしたらもう大変!
一人の患者に30人ぐらい軽〜く集まっちゃう。病室や廊下がガヤガヤワイワイってうるさいのなんのって。
まあ、死んだ時は仕方が無いとして、たかが赤ん坊が一人や二人生まれたからって、よくあんなに人が集まるものだ。
病院とは思えない賑々しさである。更にはケベック人はよく喋る!
あれっ?静かになったな、とふと見ると寝てるか死んでるか、そのくらいほんとにまあよく喋る。
臨終間近の人でさえ、息を引き取るまで喋る、喋る、喋る・・・。あ〜、やっと静かになったと思ってよく見ると、昏睡状態になっているわけね。夫の兄弟3人見送ったけど、みんなそうだった。
だから彼らにとって、病院の付き添いやお見舞いなんていうのは、もうなんだかひとつのイベントみたいで、うるさいなんてもんじゃない。でもね、頭にもくるけど、なんかその活気で病気が治っちゃうのよ。
移民のガサツさ逞しさ・・・っていうのかな。悲壮感なんかゼロだよね、ありゃ。
ああして昔から群れて生活してきたのだろう。当然といえば当然だろうな、こんな広い所なんだし。
だから自分が弱い立場にある時は、少しでも知っている人に助けてもらおう。
一人で突っ張っているよりもずっとずっと楽だもん、その方が。