さっさと引退

人間は50代になったらもう遣いモノにはならない。
「50代でもまだまだ自分はいけてる」などと思っている輩は、周りの人たちが如何に心優しいか、ということに一刻も早く気付くことだ。
周りの人たちの優しさや協力、妥協などがあるからこそ生きていられるだけ。
ただそれだけ。
それが現実だ。
周りの評価を本気にして信じ込んで「自分は凄い!若い!」などと思い込む時点でボケへの一歩を踏み出していることに気付こう。

60代以上など論外論外。
今迄散々生きて来たのだから、いい加減、先を次世代・若い世代に譲ってあげたらいいだろう。
自分が若い時のことを思い出せばすぐに分かるだろう。
自分たちの仕事を奪い取り、自分たちの手柄を横取りし、高い給料でのうのうとダラダラと職場の邪魔をしていた見苦しい高齢者たちがいたであろう。
あの二の舞だけは御免である。
酷い物忘れ、同じことを何度も繰り返して言ったりやったりする、頭が固い、頑固、思い違い・勘違い、激しい思い込み、等々、あれは全部高齢者であるが故の言動である。
そして人間、誰しも年を取る。
自分だけは特別だ、なんて思うこと自体がボケの始まりであることをしっかりと認識しよう。

だから私は52歳で引退した。
運転免許は60歳で返納した。
人間引き際が肝心。
いつまでも未練がましく、次世代・若い世代の妨害や迷惑となりながら職場など一般社会にへばりつく、そんな測り知れないほどの恥ずかしい見苦しい醜態は決して人前で晒したくない。
健康に暮らせる人間の人生は意外に短い。
人生100年などという妄想をすっかり勘違いしたまま語るものでは無い。
それがどれだけ恥ずかしいことか、自ら自らを知るべきである。

老後が経済的に苦しいのは、今迄に子育てなどにカネが掛かったから、だの、失業しただの病気だの、そんなことは理由にならない。
先を見ないで何も考えないでアホ丸出しで暮らして来たその結果だと自省したほうがよい。
人生はそこまで甘くない。
私は3人の子供を育て、一時は夫が失業して地獄を味わった。
それでも先を見極めて貯められるものは貯めて生きて来た。
自分の人生は誰のものでもなく、自分で何とかしなければ生きて行けないのだ。
最終的には自分だけの食い扶持だけだったら何とでもなる。
自力で子供を育てることが出来なければ子供を預かってもらう機関もある。
共同生活がダメであれば単独になってみればいい。

生活保護など申請するべきことをちゃんとやって生きて行くことは幾らでも出来る。
因みに日本の生活保護費は世界一高いくらいだ。
月10万円も貰えれば悠々生きて行けることは前にも書いたとおり。
ただ日本の場合は仲介役にヤクザみたいな悪人どもが介入することもあるのでくれぐれもご注意あれ。

この世には法律を犯さずしてまともに生きて行く道や方法は幾らでもある。
頭を遣って周りから多くのことを学ぶことだ。
あれもこれもやりたいという欲望があればその分、死に物狂いで働かなければその夢は叶わない。
理想論ばかり語っていてもちっとも前には進まず。

自分がどんな風に生きたいのかわざわざノートなど作らなくてもその辺の紙切れに書いてみるのもいい。
こうしたいああしたいだけでなく、「グデグデ生きたい」でも「働かずに生きたい」でも何でもいい。
こうして書き出すことで自分が見えて来る。
一番は自分を知ることだ。
だって自分の人生の一番の主役は自分なのだから。
その紙切れを冷蔵庫など目に見えるところに貼っておいて時々見るといい。
屁理屈どうでもいいから、自分のことを自分の言葉で書けばいい。
ちゃんとノートに書きたければ書いたらいい。
私は10代20代の頃によくやっていたことはノートに自分の希望を一応何でも書いていたこと。
で、叶ったらそれを線引きして消して行った。
実は62歳の今でもそれを続けている。
なかなか線引きして消すことが出来ないのもある。
何年も何年もそのまま叶わないという希望もある。
でも諦めない。
死んでも諦めない。

私事で恐縮だが、もう何十年も叶わない希望・夢が放置されたままになっている。
「突然頭がよくなること」
そんなこと決して有り得ないと自分でも重々承知している。
たぶん死ぬまで今のままであろう。
でもいい。
叶わなくてもいい。
こうして書いたことで自分で自分をバカだと認知しているわけだから、もうそれだけで充分(笑。

要するに自分を知ること、自分を認知すること、これすなわち生きること。
ね? だからいつまでも未練がましく職場などにへばりついているのは、老いた見苦しい自分を認知していない、ということさ。


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