家事家事ってウルサイ

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家事をめぐる記事が最近多いが何事か。
生きて行く上での炊事、洗濯、掃除、それ以外に何があるというのか。
働きながら3人の子供を育てて来たが家事に苦しんだ記憶ゼロ。
夫や子供たちが家事を手伝うなんて当たり前のことだ。

子供は教育次第で何とでもなるが、そんな言うことを訊かない男を夫にしてはならない。
役立たずはこっちからポイッである。
自分が全て背負えば/全て我慢すれば、事は丸く収まるとか、そんな無茶なことばっかり考えたり実行したりの人生だから苦しむのでは?
日常生活というのは絵本に描かれるような童話やお伽話では無い。

どうしたらどうやったら自分が少しでも楽できるか、それを考えるのが人生ではないのか?
自分を苦労の怒涛に落とし込むことが人生なのか?
嫌だよ、そんなの。
「立派な大人」を目指すからそういう余計な苦労を背負うことになるのでは?
嫌なものは嫌、でいいんだよ。

多少嫌なことにも文句言わずに我慢して、少しでも多くの人たちと仲良く、敵を作らず、事を荒立てること無く、穏やかに生きて行こう、なんて所詮無理な話だ。
そんなことをやり続けたところで出来上がるのは立派な大人じゃ無くて「立派なマゾヒスト」にしかなれない。
生きて行くための最低限のことをやっていりゃぁいいだけのこと。

でもたまには美味しいものを食べたい、もうちょっと部屋をなんとかしたい、と人間たるもの急に意気込みたくなることもあるだろう。
その時に意気込めばいいだけのこと。
こんなことを日常繰り返していれば、別に栄養偏ることも無く、部屋もきれいに適当に片付いている。

洗濯なんて昔みたいにしゃがみこんで盥に洗濯板でゴシゴシ洗う時代でも無いんだし、洗剤だってよりどりみどり、風呂掃除に至ってはスプレーしときゃぁ勝手にきれいになる洗剤だって売ってる。
トイレ掃除なんてサッと一拭きできれいになるシートも売ってる。
これらの何が不満なのか。

病気や年齢的なことで身体が動かないのであればそれは何にしても大変だが、身体が動くうちはそんな数分足らずで片付くことは大した問題では無いだろう。
アイロンなんか必要無い素材なのに必死にアイロンかけたり、食卓の上一杯に料理を並べたりしようとするから大変になって来るのでは?

親と同居云々だなんて、それは当然だろう、家賃だってタダのところに住まわしてもらっているんだ、何を命令されても従わないとね。
それが嫌だったら自由を選ぶべきだろう。
夫の働きや親の働きを当てにして暮らすのであれば、そこには不自由や、従うべきことが出て来て当たり前だ。

自分の親でさえそうだ。
とにかく人から食べさせてもらう、住まわせてもらう、ということにはそこには当然忍耐が必要なのは当たり前だ。
それが嫌なら自分の力で生きることだ。
自由を選ぶしかない。
自分の足で立つことはそれ相当に苦しいが、それなりの自由がある。
どっちがいいか、人それぞれだろうけど、そこまで両極端にならなくても結構生きて行けるのでは?

家事分担なんて家族である以上当たり前のことだ。
相方だけじゃなく子供がいれば子供にも分担させるのも当たり前。
受験勉強があるから?
受験勉強しなきゃ進学できないようなバカは進学なんかしなくていい。

うちの子供たちには「勉強する時間があったら親を手伝え」と教育して来た。
だから子供たちは私に隠れるようにして勉強して来た。
3人とも全員、劣等生だった私とは大違いでいつも学年トップで、そして立派な社会人になって巣立って行った。

誰かと一緒に暮らすということは家族であれ他人であれ、共同生活であるのは当たり前のことだ。
それが出来なければ崩壊するしかない。
もしくは徹底して同居人を教育することだ。
全てが自分の思い通りに行くと思ったら大間違いだ。
何を試してもダメならサヨナラしか無いね。
そのためにサヨナラがあるんだから。
いずれ人と人なんて最後にはサヨナラするんだから別にいつサヨナラしてもいいだろう。
死ぬ時は誰でもひとりだ。
とにかく人に頼らないことだ。
人に寄り掛かってばかりいたらその人だって迷惑この上無いだろうよ。
ひとりで生きて行けるようにしておけば何が起きても一応なんとかやって行ける。
前に進める。

ごはん食べて掃除して洗濯して、それで時間が無くなってしまうのであれば時間が無くならないように頭を使えばいいだろう。
少しでも自分を開放できるように一生懸命に考えたらいいだろう。
それでも家事云々がと言い続けるのであれば、なんでも人のせいにしたいのであれば、残念だが人間としてこの世で生きて行くのは無理だ。


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