パリの窓

若い頃から、パリの窓々を眺めているのが好きだった。
どんな人が暮らしているのか想像するのが好きだった。
夜になると真っ暗で人の気配が無い窓が、ある日突然、光が灯っていたりすることがある。




20代初めの頃に住んでいたパリ6区のアパルトマンの寝室から外を眺めると、
丁度道路を挟んだ向こう側の角にカフェがあるのが見えた。
道路といってもかなりの大通りだった。
そのカフェの2階にある部屋で、毎夜の如く四角いテーブルを囲んでカードをやっている男たちが見えた。
で、そのカードの部屋の隣に、電気も点いていない薄暗い部屋が見えた。
カードの部屋からの灯りが、その部屋に少しだけ漏れていた。
そこには、いつも一人のおばあさんが椅子に座っていて、身じろぎもせずに、じっと外を見ていた。
白髪を後ろに束ねたような髪型で、メガネを掛けていて、妙に古めかしい恰好をしていた。
たぶんそのカード連中の家族なのだろう。
しかし、そのカード連中の誰もがこのおばあさんに話し掛けるどころか近付くこともしないのだ。
ある日からこのおばあさんの存在に気付いた私は、辺りが暗くなって来ると、いつもその窓を気にして見るようになった。
6時頃から座っている時もあるし、8時頃まで誰も座っていない時もあった。
で、だいたい11時頃までそのおばあさんは座っていた。
当時の同居人が、そんな私に気づいて一緒にそのおばあさんのことを見ることもあったけど、あまり興味無さそうだった。
「パリには孤独な老人が多いんだよ」と彼は言った。
そしていつまでも窓の外を眺めている私は、「そんなところにいつまでもいないで、もう寝なさい」とよく窘められた。
まるでそのおばあさんは、真っ直ぐに私を見ているような気がした。
でも、微かにさえ動かないのだ。
「ね、もしかしてあれって人形なのかも」と同居人に言うと、
「そんなわざわざ人形を窓際に運んで行ったり来たりする人なんていると思う?」と笑われた。
いや、確かにそうなんだけどね。
でも、夜中に目が覚めて、ふと窓の外を見るとまだそのおばあさんが座っている時があったのだ。
午前2時頃なのに。
「彼女もたぶんめめ(私)のことを見ているのかも」と彼から怖がらせられて以来、あまりその窓を見なくなってしまった。
結局、そのおばあさんの座っている部屋に灯りが点いたのを一度も見なかった。




つい先日、その大通りを彼と一緒に歩いていると、「このカフェの上だってね、めめが気にしていたおばあさんがいた部屋は」
と、突然彼が言い出したので驚いた。
当時は全然興味無さそうにしていたのに、彼はちゃんと憶えていたのだ。
「もうすでに子供のいる若いお母さんだったけど、まるで子供みたいなお母さんだったね」と彼は笑いながら言った。
その子供のような母親に育てられた息子は、当時の私よりもずっと年上の30歳になって、そしてパリに住んでいる。
息子が窓から見るのは、どんなパリなんだろう。