なかなか捨てられない

復活祭も終わり、チョコレートフォンデュの後片付けをしている時に、娘のイザベルが、ふと保育所と小学校時代のことを話してくれた。そのどちらにもフォンデュセットがちゃんと常備してあって、復活祭をはじめ、クリスマスなどの行事の際には必ずそのセットが登場し、子供たちは、口の回りをチョコレートだらけにして食べるのであるが、そのチョコレートが冷めると、まだドロドロのうちに、手に付けてよく画用紙の上に絵を描いたらしい。まあ、なんとダイナミックなことだ。というか、正直なところ、食べ物を粗末にしているなと感じた。いやしくも教育の場でありながら、である。


わが家では、残った食べ物は必ず捨てずに次の日も食べるが、ケベック人は、あまり深く考えずに、勢いよくボーンと捨ててしまうタイプが多いようだ。夫の育った家庭でもそうだったようで、そのため夫は残り物をなかなか食べようとしない。作り立てであれば何でも喜んで食べるのだが。私がちょっと目を離した隙に捨ててしまったということもよくあったよ、昔は。今はね、そんなことしたら、私が烈火のごとく怒ることを知っているから、捨てないけどね、なんとか。


レストランでも、パーティーやお呼ばれの時にしても、平気で料理を残す人がケベックでは断然多い。特に子供は甘やかされて育っているのが大半なので、誕生日ケーキなど、ガブッと一口だけ食べて、後は遊びに忙しく食べずに帰ろうとするので、アルミホイルなどに包んで親に持たせようとすると、怪訝な顔を今までに何度もされた。「食べ物を大事にしたまえ」というメッセージを込めて私も手渡すんであるが、どうせ家に帰ると、「なんだか不思議な日本人よねぇ」などと呟きながらゴミ箱に捨てているであろう姿が目に浮かぶ。犬とか飼っていたら、そっち行きなんだろうな、たぶん。


その点、日本の人たちは、お客さんたちを見ていても、食べ残すことに罪悪感を持つ人が圧倒的に多い。「どうしましょう、全部食べられないのですが・・・残してしまったら失礼なんでしょう?」と訊いて来るお客さんが殆どだ。「残しても大丈夫ですよ、無理をしないように」と呼び掛けても、なんとかきれいに食べようと必死な姿には、まったく感動してしまう。こんな話をすると、戦前の人たちは食べるものが云々とか言われそうだが、これは、年齢に関係無く、若い世代の方々も同様である。余程体調が悪くて食べられない時は、前以て私や添乗員さんにその旨を伝えて下さる方も多い。そんな時にも、「料理を無駄にしてはいけないので」と前置きされるのである。


最近、TVを見ていると、パスタ会社のCMで、カップルが、テーブルに並んだ美味しそうなパスタ料理を、お互いの身体にぶつけ合うというヘンチクリンなのをよく目にする。食べられない人だって大勢いるのに、なんだこれは?と呆れ果ててしまう。今までその会社のパスタを時々使っていたが、改善されるまでは、ボイコットしようと思っている。


さて、こんな私でも、躊躇なく食べ物を捨てることがある。腐っている時などは別として、とにかく不味い時には捨てざるを得ない。不味いものを食べ続けるのは、一種の拷問だと思うのである。勿体無いなと思うが、食べたと思って捨ててしまう。まあ、そこまで酷く不味いというのも滅多にあることじゃないけどね。


最近、ケベックでも、有難いことに、コシヒカリが買えるようになった。今まで長年に渡って常食として来た、どこのスーパーマーケットでも手に入る、ごく普通のイタリア米(丸米)を、よくもこんな不味い米を食べていたものだと思い知らされた。これは、私だけかと思っていたら、「私も同様」という同胞が大勢いた。
コシヒカリを買えるようになってからは、今まで食べられなかった分(この根性が私を太らせる)、心置きなくコシヒカリを食べたいところだが、ふと、今までのあの不味い米の存在が気になる。そう、残っているんですよ、まだ。しかも、会社が変わったらしく、その米の味たるや、今までに無いほど惨い不味さなのである。何度も捨てようとしたのだが、「米を捨てると罰が当たる」とよく昔、祖父母たちが言っていたことを思い出し、なんとか今日まで捨てずに来た。嫌々ながら使い続けているのだが、どういうわけか、なかなかその不味い米が減らない。早くなくなるように、かなりの量を使っているのに、だ。コシヒカリなど、ほんのちょっと使うだけで、すごく減って行くように感じるのに。いろいろ工夫してみたが、どうにも不味くて食べるのが本当に辛い。その隣に燦然と輝くコシヒカリの袋が並んでいては尚更である。


不味い米を使い切るメニューを考えていたら、突然ふと日本のモスバーガーというのを思い出した。あのパンの代わりに米を使うバンズ。あんな感じに作ろうと思い立った。焼きおにぎりでもいいんだけど、うちの家族に合いそうなものを考えていたらバンズが浮かんだわけで。でも、こちらは空気が乾燥しているので、絶対にご飯はポロポロ状態になってしまうと思い、ハンバーガーにはせず、とにかく今日はバンズだけ作ってみようと思った。


かやくご飯と同じ容量で味飯を炊き、それをおにぎりにしてから、なるべく潰すようにして、それからフライパンに並べてバターでこんがりと焼いてみた。

思ったよりもちゃんと固まったが、時間が経つとやっぱりポロポロと崩れて来る。何かをはさんで食べるのは無理みたい。
ところが、家族にとっては、まるでファーストフードっぽいご飯ということで、とても喜ばれたから、何がいいのか分からない。その米そのものの不味さもまあまあ消えているし、ちょっと救われた気分。
だいぶ頑張ってその不味いのを使ったが、まだあと一回分ほど残っている。くく〜っっ!どうして減らないんだよ〜〜。まるで袋の底から湧いて来るようなのだ。


今日の夕食は、メインがクリームシチュー。

米バンズとの変な組み合わせだが、とにかくその不味い米を早く消化させようと必死なんですよ、アタクシは。
それにしても、この米バンズ(てか、形はしっかり三角おにぎりっぽいけどね)、家族からチヤホヤされて、準主役から主役になったような食卓であった。