想い出

古い写真を探していたら・・・
日本に置いてあるはずだと思っていた写真が出て来るわ出て来るわ。
ついに幼稚園時代の写真も発見。
日本の実家にはもっともっとあるとは思うが。
一枚の写真をじっといつまでも見つめていると、いろんなことを思い出す。
小さい時の方が、同級生たちの名前が次々と出て来るのが不思議。
記憶は更に古いはずなのに。
ここ最近、すっかり過去の世界に浸っている私だ。
11歳頃からの日記もあって、これがずっと20代にまで続いている。ほぼ毎日書いていた日記も、30代に入るとひどい有様で、年に一度書くか書かないかのグウタラ振り。毎日きちんと机に向かっていっしょうけんめい日記を書いていた小学生の私の方がなんぼか人間出来てそうだ。
母が、私の同級生の親御さん方とのお付き合いを思い出して時々聞かせてくれる。とても貴重な内容なので、聞く度ここに書き留めていこうと思っている。


Sちゃんのママ

私の年子の弟は、赤ん坊の時から重症の喘息で、小学校低学年の時に親元を離れて、岩手県は釜石にある国立療養所に入院しながら、その敷地内にある小学校に通っていた。まだ幼い弟を手離した母は、連日落ち込んでいつも私と一緒に泣いていた。そんな時に、何にも余計なことを言わずに何日か連続でうちに来てくれたSちゃんのママは、編み物をしながら母の話し相手になってくれた。「大丈夫?」も「頑張って」も言わずにただ母の傍に居てくれた。それが母は泣くほど嬉しかったと言う。


Yちゃんのママ

幼い頃から早くに親を亡くし、姉妹だけで何とか支え合って生きて来たYちゃんのママはとてもしっかりもので、その倹約振りは見事なものだった。給料日間近の、食料が底をついて、はてさて何を今夜は作ったらいいものかと途方に暮れる時に、物置に残っていた数個の玉葱で天ぷらを作ったが、それが結構美味しく食べられたという。若いうちにマイホームを建て、純日本風のそのお宅に私も小さい時によくお泊りしたことがあって、欄間の模様まではっきりと憶えている。庭も日本的で、Yちゃんのパパが丁寧に手入れしていた。和室には茶釜が置いてあって、Yちゃんのママはお茶を嗜む方でもあった。


Tちゃんのママ

私たちが横浜に引っ越す時に、まだ小さなお子さんがいるのに何日か手伝いに来て下さった。髪をお下げにしてあまりにも若々しいので、お嬢さんたちのお姉さんなのかと、うちの母は最初勝手にそう思い込んでいたらしい。話題も面白く、いつも母を笑わせてくれる明るい人だった。母の友人のご主人がどういうわけか、一時うちの母にしつこく付き纏ったことがあり、そんな時、母をTちゃんの家に匿ってくれた時もあったという。まだ子供だった私は「なんかヘンだな」程度で、よく事情が呑み込めないでいたが、なるほどそういうわけだったのか・・・と今になって複雑な気持ちになる。