日本を離れる時、自分の部屋の納戸にちまちまと荷物をまとめた。
古い本やレコードなどだけまとめて、あとは古着などは全部処分した。
親には、今度日本に来た時に納戸の中をあらためて整理するからどうか触らないでくれと
頼んでおいた。
ところが、である。父が、60代後半に入った頃から奇行が目立つようになって来た。
4年前に日本に行った際、納戸を開けると私の残したものが見当たらない。親に問いただすと最初は揃って「知らない」と言う。すると母が言い難そうに、父が勝手に私の部屋に入っては何かを持ち出しているようなことをしていたけど、と言う。全身の血が引いた。
大事な本はすべて古本屋に売られてしまった。父が売り払ってしまったのだ。なにか母が口出ししようとすると暴れるので、仕方なく黙っていたと言う。
耐えられずに泣き出した私に父は「そんなに大事なものだったらカナダに持って行けばよかっただろう!」と怒鳴った。謝るどころか・・・。決して触れないように約束したことなど、まったく父の頭からは消えていた。その時、私は泣きながら、父の異常な症状に気付き始めた。たぶんその頃から少しずつアルツハイマーが発症していたのだろう。
捨てられた本の殆どが絶版ものばかり。二度と手に入らない本ばかりだった。確かにカナダに持ってくればよかったのだが、まさか捨てられるなんて夢にも思っていなかった。それも実の親から。


ところが、納戸の一番奥の片隅に、古ぼけたノートの重なっているのが見えた。
見覚えのある日記帳だった。全部で20冊ほど。もう灰と化してしまったのだろうと諦めていた日記帳だ。それも、明らかに誰かから荒らされたようにぞんざいに重ねられてあった。日記に挟んであった写真や手紙なども、だいぶ紛失していた。間違いなく、父の仕業だった。
まるで愛おしいものを何かから助け出すように、その日記帳を胸に抱き留めて、それからすぐにスーツケースに仕舞い込んだ。
10〜30歳頃の間に書いた日記である。


ケベックに帰って来てから、その日記帳を一冊一冊丁寧に見ていると、思わぬものが出て来た。
それが、この写真 

これは39年前の台本『シンデレラ』。
私が小学3年生の時のものだ。
幼稚園から英語の授業があったので、学習発表会や学院祭の時にこうして必ず英語劇などを発表した。
この『シンデレラ』はオペレッタ英語劇で、所々の台詞は歌わなければならず、9歳児にはなかなか重い任務の劇だった。連日の厳しい練習は今でも思い出すほどだ。通っていた学校はカナダ系、それもケベック系のカトリックミッションスクールだったのだが、英語の授業に使われる教材を始め、この劇の練習に使われた発音矯正のテープなどはすべてカナダから取り寄せられたものだった。モントリオール英語が、私が日本語の次に、4歳から覚えた言葉だった。
 
ちょっとクラシックな表現もあるね、今こうして見ると。



これは『シンデレラ』の3年後、小学6年生の時の『王様と乞食』の台本。
どちらも、ホチキスの針が当時のままなので、すごいことになっているよ。
 
『シンデレラ』の方は、今にも針がボロボロに崩れそうです。
印刷もガリ版謄写版?懐かしいインクの匂いまで思い出しました。


役? 両方とも王子役。
小学校は女子校じゃなかったので、僅かだけどちゃんと男子がいたにも関わらず。
「どうして男の役なの?」と泣いて、先生や親を困らせた記憶が鮮明に残っている。


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父は現在、ケベックの老人施設で生活している。
先日会いに行った時は、私を識別出来なかった。
何十年もの間、父の身体ではなく脳を蝕み続けた大量のアルコールを完全に絶つことも出来た。
皮肉にも内臓にはまったく異常が無い。今まで健康だったことが却って裏目に出てしまったのだろう。
どんなに食事を摂っても驚くように痩せ衰え、歩く速度も日に日にゆっくりになって来ている。
アルコール依存症から来る暴力行為と、極度の我儘という性格を抑えるために安定剤を使っているので、以前の父には考えられない穏やかさだ。アルツハイマーの治療は続いているが、だいぶ進行していたのだろう、回復は難しいようだ。
嘗ての企業戦士だった頃の父の面影は、もうまったく見られない。
長い間の父との葛藤を、今こうして思い返している。
自分の近くに父が、そして母がいる生活。
カナダに移住してからの、ずっと長年の夢だった、自分の親と一緒の生活だ。
夫と子供たちの協力と理解に心から感謝している。






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