カマキリの実験台となる

先日、救急病棟に入院した時、左手の神経をチェックするために、神経科病棟へ移ったのだが、そこでの診察は〈知らぬが仏〉で受けて本当によかったと思う。
ひょひょ〜っと登場したのがガタ痩せで、此方ではめったに見られない出っ歯の神経医Dであった。
〈げ、まるでカマキリ〉
縁無し眼鏡に時々当てる手つきに早々に嫌悪感を催す私であった。
そして一番のキワメツケが汚い白衣であった。
彼の後ろには、よく老人専用眼鏡で目がドヨ〜ンって見えるのを掛けた老女が立っていた。
なぜこんなところにこんな老女が?ところがその老女は、ただの老女ではなかった。
なんとカマキリの立派な助手なのだ。ベッドに横になっていた私にドヨ〜ンは近づくと、いきなりわたしの腕を取り、「電気ショックがありますから」と一言。
「ええーぇっっ!?電気ショックゥ〜?」ベッドから起き上がる私を、どこにあんな馬鹿力があるのかと思わせるような猛烈な力でドヨ〜ンは私を押さえつけ、「動かないで!!」あのレンズから巨大な目をギョロリとさせて私を睨み付けた。
あれ?いつの間にカマキリはいなくなっていた。するとドヨ〜ンは金属棒を私の腕に当て、そして
ビビビビビイイイィーーッ!!!
これがあなた、両腕ですよ、左腕だけでなく。その合間に私の腕や肩、背中にペンで印を付ける。
巻尺で計ったりもしている。洋服の採寸みたいだ。
そこにカマキリがコーヒー片手に入って来て、「マダム、気分はどうですかぁ?」
「気持ち悪いです」「そお〜おお!それはよかった!」
〈死ねよ、カマキリ!〉
この電気ビビビが終わると、今度はカマキリが私の傍に座り、太いストローみたいなのを振り回し、「ちょっとチクッとしますですよ〜」実に嬉しそうである。この診察が3度の飯より好きという顔つきだ。
汚い白衣を纏っているのに、なぜか立派なカフスボタンなんかしている。
するといきなりチクッとして、それが実は長いファイバーのような針だと分かった。
それで掌を広げたり、縮めたりさせられる。ドヨ〜ンのいる機械の方からは、ザザッとかガガッとかマイクを通したような音が聞こえる。ある部分に来るとガガガガガガ〜ッと音が大きくなり、
それが神経が正常である事を意味すると、カマキリが私に説明した。
肩や背中は少し慣れてきた。その間中、カマキリとドヨ〜ンは無駄話をしてはアハハ、オホホと楽しそうである。
針を刺したまま、カマキリが馬鹿笑いするので、手元が揺れ、こっちもなお痛い。
〈カマキリ、死刑!〉
検査が済むと、びっくりするほど各所から出血していた。それをいちいちカマキリが拭取ってくれたのが、なんとも気味が悪かった。ヘタクソな手つきで絆創膏も貼ってくれた。
診察中に眼鏡を外さなければならなかったのだが、いちいち私の眼鏡を外してくれたり、どこかの棚に置いてあった眼鏡を持って来てまた掛けてくれたり、とカマキリが変に親切なのにも閉口したが、その眼鏡を持つ時のカマキリの手つき、両手の小指を反らしたあの手つき、一歩間違えれば医者じゃなく変態者である。
まさしくカマキリの実験台となった忘れられない一日であった。
その日の夜、主人に一部始終を話すと、「丁度日本の鍼と同じでショ」
日本の針灸あんまを信仰していた主人からは、こうして事も無げにかわされたのであった。


これには後日談がある。
昨秋に、J*B社をご利用頂いたグループの中に、車椅子の方々のツアーがあり、そのうちのお一人がケベックで倒れられ、この私が実験台になった病院に緊急入院されたYさんという方がいた。
医療通訳のメンバーである長男が借り出されて数日間Yさんに付き添い、通訳をしたわけだが、いつも長男はカンカンになって帰宅、なんでも担当医が想像を絶する冷血漢とかで、Yさんの奥様と、グループ関係者ら、添乗員や、専門付き添いの皆さんがその医者に立腹されているという話を聞いていた。
その医者こそが、このカマキリだったのである。もちろん名前から発覚したわけだが、長男の言う「出っ歯」が決め手であった。
「私は忙しい人間だ」「あなた方への説明に時間を取られてしまった」「フランス語が解らないのか?」「すべて私は説明した。これ以上の説明は要らないはずだ」まったく不快感100%の言葉ではないか!
皆さんが立腹されるのは当然である。もちろん皆さんからの質問にも全くこのカマキリは応えなかったそうである。
「あれじゃあ、医者失格ですよねえ」皆さんと長男はただただ呆れるばかりであったそうだ。
許せん、カマキリ!