「最期に過ごすならやっぱり日本かな…」坂本龍一がこぼしていた“日本愛” 移住先の候補地が「生まれ育った東京ではない場所」だった理由とは 文春オンライン

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「死人に口なし」と言わんばかりに、亡くなった後、これでもかといろんなところにいろんなことを書かれている坂本龍一氏。
こういう内容は何処まで本当なのかなといつも思う。

海外に拠点を持つ著名人たち、一般人たちを見ていると、永住することなく意外にひょいひょい日本に戻って行く姿をこれだけ多く目にしていると、単なる長期滞在ビザを更新し続けていただけであって、永住権は取得していなかったのかとふと思うことが多々ある。

鳴り物入りで海外へ!と、眩しいほどに輝かしく勇ましく日本から出て行くのは結構なのだが、結局は働く先もその殆どが日本で、結局は、折角購入した不動産なども全部片づけて日本に帰って行く人々の特徴は、移住時とは大違いの、「あれ、いつの間にいなくなってる…」というくらい静かで、誰も気付かないくらい静かであるのが現実だ。
「こっそり帰国」という感じである。
そういう大勢の日本人たちを今まで見て来た。

海外に出る時にあれだけ大手を振って堂々としているのだから、日本に引き上げる時も同じく堂々としていればいいものを、なぜ皆揃いも揃ってあんなコソ泥のような引き上げ方をするのか、常々不思議に思う。

我々にような永住権取得者にとって「最期に過ごすならやっぱり日本かな…」とは、もちろん私も同様に、いくらでも口にできる、口にするのは簡単なので、夢は夢として最後までそう言い続けるとは思うが、永住権というのはそんな簡単にポイ捨てできるものではなく、またそこまでの覚悟を以て海外移住するわけだから、実際本当に日本に帰って最期を、というわけにはなかなかいかないのが現実である。

坂本氏は治療を米国で行なっていたらたぶんもう少し生きられたと思う。
しかし、例え永住権を取得していたとしても米国での医療費、特にこういう難しい治療においては、莫大な医療費が掛かるのは周知の如し。

米国で重い病気になってしまったら、どの州であろうと、もちろんそれなりの医療保険を国民はかけているわけだが、かなりの高額な保険をかけていないことにはその辺の安っぽい診療程度で見放されてしまうのが殆どだ。

うちの彼兄は米国で心臓と呼吸器官の専門外科医だが、彼の治療を受けられる患者たちは限られていて、あれだけ高度な医療技術を受けるためには患者側もかなりの医療保険を払わなければ到底叶えられないことである。
それだけ米国の医療保険には信じられないほどの格差がある。

そのために米国からカナダ、特に此処ケベック州医療保険制度を目指して移住して来る米国人は後を絶たず、それを規制するのに苦労しているケベック州の諸事情など、日本のマスメディアがそこまでキャッチするのは至難の業であろう。
こればかりは、我々のように実際に北米での永住権を持ち、地元の人々と何ら変わらず、長年現地で働いて暮らして納税して不動産を持って資産を作り、更には私のように重病にでもなってみないとなかなか知ることはできないことは信じ難いほど多いことだろう。

ちなみに、専門医のうちの彼と彼兄に、坂本氏の病状をざっと訳したら、今の時代は完治までは難しいがもっと長生き出来たのは確かである、と。
更には、年に6回もの手術をするなど信じられない、と言っている。
うちの彼と彼兄はカナダと米国の医師免許を持っているので、どちらかの病院で坂本氏をもう少し進んだ医療技術で治療出来たであろう、とも言っている。
もう少し早く、せいぜい3、4年前ぐらいに坂本氏を知っていれば、坂本氏の担当医であれば、の話である。

日本のマスメディアはとにかく著名人でなければ全く相手にもせず、とにかく何でも著名人の言うことであれば日本国民は何でも信じてしまう。
そのくせ、人真似だけには長けていて、勝手に人の情報を盗んで利用する、、こればかりは本当に手が早く、まるで泥棒の如く、である。

知識人とは名ばかりで、日本国内のことしか知らず、海外についての情報や知識などは鼻糞レベルの、言語も満足に理解できないような、そんな連中を時には日本の下衆なバラエティ番組のコメンテーターとして散々儲けさせ、彼らの話すことばかりに目を向け、みんなで振り回されて右往左往するという、その情けない様子は、地球の裏側から観察している我々にとってはまるで猿芝居そのものである。
元来は頭脳明晰な国民なのにね。
残念無念である。