懐かしい日本での生活

夕べ、というか明け方なのか、懐かしい夢を見た。
134号線を夫と一緒にドライブしているところだ。
あまりにも懐かしくて、目が覚めると、涙を流しているのに気付いた。


私たちは、日本に在住していた時は、私の実家から近くの所に住んでいた。
134号線から一本奥に入った静かなところで、湘南の大好きだった夫にとっては、ケベックに引っ越して来るのが嫌なくらい、その場所に愛着を持っていた。茅ヶ崎市だけれど、すぐ隣が辻堂海岸だったので、茅ヶ崎と藤沢の市境と言ったらいいのだろうか。家族でドライブしたり、散歩したりと、湘南での生活を楽しんでいたあの頃が懐かしい。


砂浜を散歩するのは、どちらかというと冬が多かった。ちょっと長めのブーツは、靴の中に砂が入らないので却って都合がよかったのだ。時々真っ白な富士山が見えて気持ちがよかった。


ドライブは、いつも三浦半島の辺りや、横浜ベイブリッジまで走った。私が運転免許を取得したばかりの頃の練習ルートでもあった。場所は飛ぶが、日光のいろは坂でも練習したことがあるんだけど、自分で運転すると全然酔わないことを初めてその時知った。これは、ドライブの延長ではなく、旅行した時のことであるが。
ドライブで一番日帰り遠出したのが、山梨とか長野までかな。相模湖の辺りまでのドライブのつもりが、いつの間に大月、どんどん行って甲府、その辺りのマクドナルドに入ったら、ずっと向こうに見事な連峰があるのを見て「あれはどこですか?」と店員さんに訊くと、「長野ですよ」と、なんだか山梨県に入ったら会う人会う人皆さんとても親切な人ばかりで感動して、そのまま長野県にちょっとだけ入って、なんとかいう小さな湖を見ているうちに茅ヶ崎が急に恋しくなって、すぐにそこから引き返したというドライブだった。そんなに遠くに行くつもりはなかったので、夫も私も普段着のまま、財布だけ持ってのすごい軽装な遠出だった。家にいる格好のまま、長野県のその小さな湖のほとりを歩いた時はなんか妙な気分だった。「なんで私はこんなところにいるの?」みたいな。しかも、雪が積もっていて、ちょっと吹雪いていたりして、晴天の茅ヶ崎から行った私たちには、なんだか夢のような世界だった。


夏のこと。一度ベッドに入ったのに、なかなか眠れなくて、夫共々寝間着のまま横浜までドライブに行ったこともよくあった。そんな姿だということをすっかり忘れて、大黒ふ頭で下りて「う〜ん」と伸びなんかしてみたり、ドライブインの中をウロウロしたり。


134号線沿いのレストランで、確かレッドロブスター?(定かではない)だと思うのだが、鎌倉だか逗子だか一度行ったところにもう一度行こうとしてどうしても行き着けなくて、諦めて戻ろうとしたけど、ラッシュラッシュで、なかなか車が進まず。片瀬海岸にもレッドロブスターはあったんだけど、注文を間違えられたり感じの悪い思いをしていたので素通りし、そのうちお腹がペコペコになってわが家まで辿り着くまでには耐えられずに、すぐ近くに見えて来たマックで海老バーガーを食べたんだけど、その空腹に食べた美味しさは今でも忘れられない。
わが家周辺では、よくハングリータイガー(ステーキハウス)を利用した。ぼうぼうと大きな炎の上で焼かれるステーキが美味しかった。


夫は私よりもずっと顔が広く、彼方此方で「クロードさ〜ん!」と顔馴染みさんたちが呼んでくれていた。電気の量販店の店員さんや、スーパーマーケットの駐車場のオジサンまで夫のことを知っていて、皆さん一様に夫にやさしく、駐車場でちょっと時間がオーバーしても「オーケーオーケー」なんて見逃してもらっていたり、八百屋さんからは「クロードさん、今日はホウレンソウとキャベツが安いよ」なんて教えてもらっていたり。鉄砲通りのコーヒー専門店のオヤジは、母や私が行くと仏頂面のくせに、夫が行くとやたらに感じがいいので、いつもコーヒー豆は夫に買いに行ってもらっていた。


住んでいたマンションに、いつもイギリス車のベントレーが燦然と止まっていて、その主はお医者さんだったらしいが、夫はよく彼と立ち話をしていたようだ。私はついにその車の主の顔を見たことがなかったのに、だ。
そんな様々な思い出のある日本での生活だったが、最近ではストリートビューを辿りながら、「あの時走って迷った道はどれだろう」とか、結局は二度と見付けられなかった不思議なレストランを探してみたりとかするのが楽しい。ストリートビューを見ていると、ほんとにその場にいるような気分になって、ふとPCから顔を上げるとそこはケベックで、なんだかそれはそれでまた不思議な気分になるのである。




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