夏になると、とにかくうんざりするのが、ご近所の皆さんの焚き火である。
それも日本みたく、枯葉を燃やす、燃やしながらサツマイモなんかを焼いてみるなんていう風情のあるものじゃなくて、結構廃材なんかを燃やすようで、あれは一種の公害だと思うのだ。そのお陰で今日も一日、貴重な休日がおじゃんになった気がする。折角空気のきれいな所に住んでもこれでは何の意味も無い。それも、1〜2日ぐらいの短い間での焚き火だったらまだ許せるが、とにかくしつこいのである。もう何日も、それも彼方此方で。思わず息子が「開拓時代じゃねぇんだよ」と呟いた。私は煙アレルギーだ。実は暖炉もかなり苦手である。私の住むS市では、週末の焚き火は禁じられているし、週日は市役所からの特別許可が必要なのだ。それを知っていながら、彼方此方から煙が立ち上るのは一体何なのだろうか?開拓移民の血なのか?
パーティーなんかにしても、ガンガンと音楽を鳴らし、エンドレスのうるさい会話、それもアルコールが加わると話にならない状態となる。住宅街の中で花火を打ち上げるのも迷惑なことに流行し始めた。路上駐車禁止の道路に所構わず駐車し、中には他人の家の入り口に止めてしまう阿呆もいる。
自分の家を自分で建てる人も多い。それは大いに結構な趣味かも知れないけど、まぁいつまでもトンチンカンチンとうるさいのである。それにケベック人は朝が早い。だから週末の朝早くから、作業に取り掛かるそのハイテンション振りも実に腹立たしい。体力も有り余っているようなのが多いから、ハンマーを振り下ろすその力も半端じゃない。
とにかくエネルギーの塊みたいのがケベック人には多いので、ただ黙ってその辺に立っているだけでもブーンブーンと放熱しているみたいで鬱陶しく感じることが多い。ケベック人に「静」を感じるのは、「死んだ時」だけと言った人がいたらしいが、確かにその通りだと私も思う。寝ている時でも何となくうるさい。
冬が来る前にあれもやってこれもやって、という意気込みは痛いほど分かるのだが、折角のこのいい季節を却って滅茶苦茶にしているようにも感じるのだ。と、ひとり大和人は思うのである。
こちらに生活して痛感するのは、日本人と一緒にいると本当に心休まるのである。同じ人種だからということもあるかも知れないが、日本人は本当に静かだ。歩く時も話す時も食べる時もすすーっと静かだ。観光中も「ご集合下さい」と声を掛けるとすぐにささっと音も無く集まり、モタモタしている人などいないのである。だからケベックでも日本人はとても尊敬される。礼儀正しくて静かだというのが専らの評判である。
インディアンも静かだ。やっぱり私たちと同じ先祖だからなのか?




★最近、誤字脱字が多くて我ながらイヤになります。折角読んで下さる皆さんに対して本当に恥ずかしく申し訳無く思います。仕事中も言葉がなかなか出て来ないで苦労すること度々。歳のせい?というより、なんだか病的な感じがします。お客さんたちにフランス語を話し、ケベック人たちに日本語を話すなんてこともよく仕出かし、両者ともキョト〜ン(☉_☉)・・・って当たり前ですよね。もしかして私もいよいよアルツハイマーか?なんて、ひとり冷汗もんです。脳の訓練にはなんでも昔の記憶を辿るのがいいらしく(ほんとーですか?)、「中学2年ん時のクラスメートの名前(ちゃんと姓+名)を10人述べよ」なんて自分で自分に質問作ったりしてるんですけどね、あまり効果無いみたいです。







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