「障害児の教育分離は人権侵害」 弁護士会が文科省通知の撤回求める:朝日新聞デジタル

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この問題は私が幼い頃、つまり昭和30年代からもうずっと続いている内容だが、日本ではまだこんなことを繰り返しているのか。
健常者と障害者を一緒にすることで、どれだけ健常者に不快な思いをさせるか、どれだけの迷惑をかけることになるのか、なぜ障害者の親・身内・関係者たちは理解できないのか。
車椅子問題でも日本では毎度毎度大騒ぎを繰り返しているが、そもそも健常者と障害者の共存は不可能に近く。
これは障害者にとっても辛いことなのである。

此処では、障害者には障害者専用の施設や乗物がある。
それを「障害者の権利」と、全部一緒くたにしたがる、この報道と同様の団体は世界中何処にでもあるが、毎度の如くそれらは裁判によって撤回される。
当たり前だ。
障害者のために日にちを設け、障害者だけが無料で入れる映画館や遊園地、催しなど数知れず。
もちろんそんなところに健常者は入れず。
それだけの特別扱いを彼らは受けている(此処での話)。
それ以上、何が必要なのか、と裁判では逆に問われることになる。

障害者の為に我々の納税したものがどれだけ使われているのか彼らには解からないようで、自分たちだけが特権階級のようなことを言ったり、そう思い込んでいる者がたまにいるから困ってしまうのだ。
例えば、国が戦争になっても戦いに駆り出されるのは健常者だけである。
災害が起きて救助活動に自分の命を惜しまずに真っ先に飛び出して行くのも同じく健常者だけなのである。
障害者たちにはその重い責任は無い。

障害を背負って生きてくれだなんて誰も頼んではいない。
此処では、障害児を産むのを少しでも避けるために36歳以降は腹水検査が義務付けられた時期もあって、1000人に1人の胎児が検査によって亡くなる可能性大という恐ろしい検査も私は我慢して受けた。
その検査も人権云々によっていつの間にか義務付けられることが無くなってしまい、今ではどんどん障害児がまた生まれるような世の中になってしまった。
喫煙や飲酒、薬物や大麻中毒によって障害児は生まれる。
他にも無理な不妊治療によっても生まれる。
好き放題なことをして障害児を産んでいる親たちはクソみたいな存在で、そもそもそんな家系は最初からこの世には不要なのである。

だいたいこの報道写真の左側にいる父兄の顔は本当に酷い。
感謝の「か」も無いような荒んだ顔をしている。
障害者の為にどれだけ多くの人々が犠牲になっているか、そのことをよく考えれば当然感謝の気持ちが持てるだろうに、とにかく不満だらけだからこんな顔になってしまうのだ。
障害者というのは持って生まれた宿命だ。
事故などで障害者となっても同様。
生まれる前からもう既に決まっていた運命のようなものだ。
それは誰のせいでも無い。
宿命に抗っても何も生まれて来ない。

此処では障害者に対して手厚い報酬や手当が払われ、彼らはほぼ無料の住居に様々なものが免税されたりしながら暮らしている。
車椅子など障害者専用の無料の送迎車も幾らでもある。
先日、病院の外にいたうちの彼がその送迎車に体当たりされそうになった。
患者の家族と話していてうっかり背中を向けていて気付かなかったという。
つまりその送迎車の運転手は「どけどけ!!」といった感じだったらしい。
健常者、しかもあれだけ優秀な専門医を殺そうとしてまでも障害者を優先させるという、そういうことだ。
ふざけるな!
健常者と障害者はしっかりと区別されてそれぞれが生きるべきなのである。
暮らす次元自体が全く別なのだから。
そのほうがお互いに幸せになれるのは間違い無い。
障害者の家族は障害者と当然一緒に暮らせばいいだろう。
それで何が不満なのだ。
我儘もいい加減にしてほしい。