帝国ホテルに1980年に一緒に入社した同期生の皆さんです。
大脇善夫氏
”おもてなし”に大切なのは考え、想像し、気づくことhttps://www.gourmetcaree.jp/contents/leader/374.html?fbclid=IwAR2KZodKXnGS3pkIj7zONlqhJaM31EYL0n2C82iEg8ASY_s9ck0g9TObZHo
山本一郎氏
なぜ帰宅難民2000人を無料収容したのか -帝国ホテル
松本利一氏
逆境だと思うときが最高に飛躍できるチャンス
大脇氏とは20歳~27歳までお付き合いしていました。
初めてのデートは横浜で、お互い22歳と20歳の6月でした。
帰りの遅くなった私をわざわざ茅ケ崎の実家まで送ってくれて、更には私の両親への挨拶も兼ねてのことでした。
当時、私にはすでに婚約者がいて、21歳で長男を出産しました。
それからも度々、大脇氏とは会ってはいろいろと相談にのってもらったり、随分と助けて頂きました。
今はお互いに62歳と60歳になりました。
あれから40年が過ぎた今も、時々連絡を取り合っています。い
今でも彼のことを当時と同じく「大脇くん」と呼んでいます。
山本氏のことを当時「一郎ちゃん」と呼んでいました。
照れ屋さんで、お洒落さんで、そしてちょっと突っ張ったようなところがある一郎ちゃんが私は大好きでした。
同じ方面ということで度々横浜まで一緒に通勤していたこともありました。
松本氏とはよく居酒屋に行って、いろいろ話を聞いてもらったりしていました。
スラッとした体形でなんだかとっても爽やかな、そして心優しい青年だったのを憶えています。
私が帝国ホテルを退社するお別れ会の時に、ずっといつまでも私から離れずに、そして銀座の交差点で別れを惜しんでいた彼の姿が忘れられません。
今ではフェイスブックで彼と繋がっています。
そして、私にはもう1人の大切な同僚がいます。
金谷哲氏
国の登録有形文化財に登録されている、秋田県能代市の老舗料亭「金勇」の御子息である金谷くん。
今でも私のことを「メグ」と、当時と同じ呼び名で呼んでくれています。
フェイスブックを通して時々お話しするのがとても楽しいです。
私が帝国ホテルを退社する頃に同僚たちを引き連れて茅ケ崎まで会いに来てくれたのに、体調の悪かった私は会えなかった。
それからだいぶ時間が過ぎた20代後半、確か日本を離れる直前に金谷君と電話で話した記憶があります。
今はフェイスブックで繋がっているのでとても安心です。