無理のない、自分なりの生き方で

転職か否か… 「仕事余命」で決断、40歳からの働き方 : NIKKEI STYLE
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21489840V20C17A9000000?channel=DF180320167080


こういうことってあまり思い詰めて考え過ぎない方がいいと思う。
私も以前までは、この記事に書かれている如く、細かくいろいろと考えて来たが、60歳で定年退職した父の姿を見て、今までの考えがすっかり変わってしまったのだ。
60歳で定年退職した父は、今までよりも更に酒を飲むようになり、60代後半から認知症をじわじわと発症し、それでも酒を止めず、いや、止めるどころかどんどん酒に溺れ、施設では大暴れを繰り返し、施設の職員を突き飛ばして怪我をさせ、84歳の今、自分の名前さえ言えない。
その父は、一流大学を卒業後、大企業に勤務し、出生コースを真っ直ぐに昇りつめた人である。
頭脳明晰で、人一倍頭の切れる人だった。
それなのに、84歳の今、自分が誰かも解らず、オムツをして、3歳児よりも知能が低いくらいだ。
そんな父の姿を長い間この目で見て来て、人間の生き方とは何なのか、考え込むようになってしまった。
安らかな老後が暮らせる程度にお金を貯めれば、それ以上のことは、つまり出生とか人生には大した重要ではないことを痛感した。
周りの人々とのトラブルは最小限度に抑え、健康に、経済的に困らぬ程度に暮らせればそれで充分なのだと思い知った。
そう考えるようになってから、私にはそれまでの「欲」というものがきれいさっぱりと消えてしまったのだ。
健康だっていつ損なうか分からない。
いつ死んでもいいように毎日を暮らすようになった。
もちろんそれなりの様々な希望も一応はあるが、あまりそれらには執着しないようになった。
ダメならダメでいい。
うまくいったらまたそれはそれでいい。
今までのような「絶対にそうあってほしい!」などとしがみ付くような気持ちはさらさら無い。
病院にも極力行かないようになった。
身体に元々ある自然治癒力で治らなければ、もうそれでいい。


しかしながら、40代の働き盛りで、養わなければならない家族があれば、こんな私のような暢気なことも言っていられないだろう。
それにしても、だ。
あまり自分を痛めつけるような生き方をしなくてもいいと思う。
そういう自分の気持ち、生き方の姿勢を家族に理解してもらうこと、協力してもらうこと、これらのことがとても重要になって来る。
自分1人で頑張っても限界がある。
家族があれば、皆で協力し合って、各自の負担を少しでも軽減させ、1人暮らしだったら、自分を最大限優先させて生きること。
いずれにせよ、負担や苦しみを最小限度に抑えること、これが一番重要です。


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