パリ同時多発テロ


テロ発生時、息子と娘は、パリ13区のレストランにいました。
そして、ヴェリブで家に戻るまで何も気付かなかった。
レストランで店のスタッフから、またサッカーの試合で、サポーター同士の争いが
街中であったらしいというのを耳にしただけで、
まさかそれがこんな恐ろしいテロの始まりだとは思ってもいませんでした。
アパルトマンの正面の扉を入ったところで、盛んに警察や救急車、消防車のサイレンを耳にして、
手元でニュースを確認すると、人がどんどん死んでいることに初めて気付きました。
部屋に入ると今度は軍用ヘリがパリの空を巡回し始め、これはただごとではないと確認。


息子も娘も、友人たちも、子供たちの同僚や同級生たちもみんな無事でした。


多くの人たちが命を失いました。
怪我をした人は200人を超え、重症の人も多く、更に死亡者の数が増えるのではないかと言われています。
ベルギーやイギリスやドイツでは、テロ関係者が数人、逮捕されました。
多くの武器を運んでいたテロリストもいたそうです。
オランダでは、エールフランスの飛行機に異常があったらしく、アムステルダムで乗客たちが全員降ろされたというニュースも入って来ています。
が、まだまだフランスとその周辺の国々は大混乱状態で、ニュース内容もくるくると変更を繰り返しています。


今朝、娘はたった1人でヴェリブに乗ってスーパーに買物に行きました。
当然、私は彼女を叱りましたが、「テロでも人は死ぬけど、食べるものが無くても死ぬ」と娘は言い切っていました。
厳戒態勢と報道はされていますが、実際は、オデオン周辺もリュクサンブール公園も、サンジェルマン通りも
それらしき警察や警備隊、機動隊などの姿を見掛けなかったそうです。
スーパー店内では、客は娘がたった1人。
「もちろん恐かったけど、でも私たちは生きているから。生きなければならないから。
私たちには私たちの生活がある。テロリストになど負けてはいられないのだ」と娘。
私とは正反対の強さを持った娘です。
生まれた時から大きな苦労を背負わされて生きて来ているからこそ、これだけの強さが娘にはあるのでしょう。
息子も強いけれど、娘も負けずに強い。
2人共、パリで逞しく暮らして行くことでしょう。
私もケベックで弱音を吐いてばかりもいられませんね。


亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
Mes sympathies


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