「屈しない」ということ

屈しない、ということは、反テロのデモ行進をしたり、
反社会を謳う風刺漫画を描くことではない。
あんな漫画を描いて、テロが防げるのであれば、誰だって描きますよ。
そんなに簡単にテロが防げるのであれば、警察だって苦労しないし、国民だって必要以上に恐れる必要は無い。
そんな簡単な世の中だったら、どんなにいいだろう。
言論の自由、自由思想、…人間はあくまで自由です。
でも、自由と一緒に必ず責任が発生します。
自由に風刺漫画を描くのはいい。
でもそれによって、自分以外の、何の関係も無い人々の命まで奪うことにもなるのです、今回のように。
それを予見せずに、予見出来ずに、自由もへったくれも無いのです。
自由を謳う前に、風刺漫画に何の関係も無い、今回亡くなった人々のご冥福をお祈りいたします。
屈しないということは、妙な連帯を築いては、「私は独りじゃない」などと嬉しがることではありません。
死ぬ時は誰でも独りです、人間である以上。
だから、それだけの強い心を持つことです。
テロリストに、自分の生活を脅かされないよう、少しでも脅かされないよう、工夫して、頭を使って、よく考えて、生きて行く他はありません。
少しでも危険を回避し、危険な人々には触れないことです。
『触らぬ神に祟りなし』という、日本には素晴らしい諺があります。
賢い先人たちが創り上げた言葉です。
先人の英知に学び、軽んじた行動は慎むべきです。
テロ対策は、その道の専門家(プロ)に任せて、その専門家たちの邪魔にならぬよう、少しでも専門家たちに協力する。
これが、我々市民が出来る、一番身近で大切な勤めだと思います。
テロリストたちは、日夜、訓練を重ねていると聞きますが、それでは我々市民も、少しでも安全に、彼らからの攻撃を避ける訓練をするべきでしょう。
テロリストたちの異常な思想や行動がどういうものなのか、きちんと知るべきでしょう。
連帯を築いたところで、人間のやっていることですから、裏切りや虐め、暴動、集団ヒステリーなどが発生する恐れもあります。
宗教、人種、思想に繋がる反感も必ず問題となるでしょう。
だから、連帯を築いて嬉しがる前に、個人個人がしっかりと立ち上がるべきです。
テロリストを直視し、見逃さず、見付けたら直ちにこの世から抹消しなければなりません。
今回のテロリストを捕らえる際に、恐怖に慄きながらも、逮捕に向けて協力した人々がいます。
彼らの賢い行動に見習い、冷静に行動することの意味を学びたいものです。
これからの時代、団結してどうのこうの、という時代ではないと私は思います。
インターネットのお陰で、目に見えない団結はもうすでに出来上がっているわけで、それをわざわざ確認する必要もないでしょう。
どれが正しい情報で、どれが正しくない情報なのか、その見極め方も我々はもうすでに学習済みです。
我々一人一人がしっかりと立ち上がっていれば、テロリストにとっては入る隙もなく、どんどん社会から取り残されていくばかりでしょう。
人と群れないとやって行けない、生きて行けないのが、彼らの本来の姿だからです。


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