万聖節

先日の一日は、Toussaint(トゥサン)、諸聖人の日
つまり、すべての聖人のための日。
Tous=すべて、saint=聖、ってことで、トゥ サン*1
そして、翌日の二日は死者のための日で、ケベックでも日本のお盆のように墓参りをする人々がいる。

私は、この日になると毎年、大好きだった人たちの墓参りによく行く。
夫の両親と兄、そして、日本に宣教のために来日した神父たち*2の墓参りをする。




夫の兄の墓は、小さなコンパクトなもので、亡くなる前に自分でデザインした墓である。

お洒落だった兄らしいデザインだ。




ドミニコ修道会の墓地。




ジョルジュ・ラローズ神父。
私の両親の結婚式をはじめ、私の洗礼式を担当した神父だ。
私が教会の隣で生まれた時、毎日、教会の庭からバラの花をブーケにして、「部屋のバラを絶やさないように」と仰ってお見舞いに来て下さった。ラローズという御名前そのもののような方だったらしい。
生前から火葬を大変嫌い、ご本人の強い希望によってカナダにて土葬。
アルベール・ゴーティエ神父。
バチカン専属の国際弁護士でもあり、ローマでの時代に大変お世話になった。




ルネ・ピシェ神父。
ラローズ神父の次の代として、ずっと私が幼稚園から30代になるまで長年に渡ってお世話になった神父。
また、10歳の時から2年間、ピシェ神父からフランス語を習った。




エティエンヌ・ラポルト神父。
母が子供時代に洗礼を受けた。まだ小さかった母を、よく高々と抱き上げて下さったそうである。
日本に埋葬されることは成り行きとして認めておられたが、一部を「ケベックの家族の近くに埋葬してほしい」という遺言により、日本とカナダに分骨された。




アルフォンス・フォルジェ神父。
ラローズ神父と同時期。まもなく転地された。




レジナール・スミス修道士。
渋谷の南平台にあるドミニコ会修道院(日本での本部)にて、長年コックさんを務めたフレール。
お母様が日本人、お父様がイギリス人で、神戸の生まれ。
日本に埋葬された。

墓石左上に顔らしきものが写っている。長髪の男性?




ロベール・コントワ神父。
エルサレムに住んでいた時、私の担当をして下さった。
クムランやユダヤ王家の墓などを研究されておられた大学教授。私はその一生徒だった。




枢機卿の墓標。




墓地を見守っている聖ドニミコ像。
銅の流れ方なのだろうか、口から泡を吹いて、涙を流しているような表情がちょっと怖い。


聖ドミニコの背後に広がるのが、ドミニコ女子修道会の墓地。




まだ何も名前の刻み込まれていない新しい墓標も並んでいる。




何度も上空を渡り鳥が飛び回っていた。

生まれる前からケベックと繋がっていたのだろうか?とふと思う。




一般墓地からドミニコ会墓地を遥かに望む。



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*1:日本人向けな発音ってことで。

*2:各国に埋葬、もしくは分骨されている神父たちの場合、カナダのドミニコ会管轄に所属していたことから名前が刻まれているケースも多い。