強く生きる

日々入って来る先日起きた通り魔事件を読む度に悔しい気持ちが込み上げて来る。
「自分がつらいから人を殺しました」みたいな事件だ。
つらいのなんか誰だって同じだ。苦しみを抱えていない人間なんかいるはずがない。
みんなそれに耐えて生きているのだ。
自分だけがつらいと思うところからもうすでに狂っている。
犯人の生活状況や、その背景にある社会体制などがいろいろと言われているが、この世が自分の思い通りに行かないからと、何の罪も無い人々の尊い命を奪ってしまった犯人が最大の悪だ。誰のせいでもない。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


リストラや親の離婚、いじめ、孤独などを殺人の理由になどしてはいけない。
強く生きて行く他無いじゃないか。
他人のせいにしてはいけないとよく言うけど、私はそれでいいと思う。
自分が変われば、というのも確かに一つの「方法」だけれど、それでもどうしても人を苦しめたい輩ってのはいるからね、どこにでも。どんなに自分の考え方を変えてみても、「これでもか、これでもか」って人を苦しめたがる悪魔みたいなのっているでしょ?うまく行かないのは全部自分のせいだなんて思わなくてもいいよ。でも人を殺すのは駄目だ。これだけは絶対にやってはいけないことだ。だから戦争も駄目だ。
強く生きる方法を見つけることが一番だ。それにはあまり自分を責めてはいけない。「鈍感力」でもいいし、国や人に頼ってもいい。国に頼るってのが日本では物凄い罪悪感いっぱいで語られるけど、いつの日か何らかの形で恩返しして行けばいいんだし、国民の税金を悪いことに使う一部の政治家たちよりは、よっぽど罪が無いと思うよ。
ケベックの場合、そういう援助には、厳しい規制や制限、規定などがあるから、その上に胡坐を掻く生活も出来ないから、とてもいい制度だと私は思う。