人生半分

「人生を半分を生きたなぁ」という言葉が、ある文章を読んでいたら出て来た。何歳の人の発言かと思ったら35歳の男性であった。なんかもう人生に悟りを開いたような、あまりにも枯れた言葉に驚いた。私が35歳の時を思い出すと・・・人生半分なんて意識はゼロ、そして妊娠していた。それから遥かに時間は過ぎているが、未だ人生の半分に来た、なんて感じたことが無い。確かに物忘れが酷くなったり、老眼になったり、身体に無理が利かなくなったりという意識はあるが、人生70年なんては思わないな。70代なんて若い若い!お客さんたちを見ていても、70代の皆さんは本当に若い。
そうね、私が今この歳で感じることは、人生三分の一に来たってことかな。だいたい20歳までなんてカウントしてないもんね。きゃ〜!じゃぁ140歳まで生きるつもりか、私は。自分で自分の人生を区切るなんて発想、厭だなあ。ま、でもこれが常識的な大人の発想なのかもね。
私の104歳の祖母は、何の人生哲学も持っていない人だったし、ただその時その時を生きていたように思う。先日もなんと孫の肩揉みをしたそうである。肩揉みされたんじゃなくて、肩揉みをしたんだそうな。ま、黙って揉まれている孫も孫だが、全くすごいスーパーナルババであることよ。
彼女が90代に突入した時、よく周りの人たちから「あら、おばあちゃん、この勢いで100歳まで頑張って下さい」とか98、9歳の時に「わあ、もう100歳も目前ですね、それまでおばあちゃん頑張って!」とか励まされると、彼女にとってそれは励ましでも何でもなく、「あれ?じゃぁ100歳で死ねってことかね?」と後で一人で言っていたらしい。う〜む、この発言、私もいずればあさまになったらいかにも吐きそうな台詞だなあ。血は争えん。