バイト時代

学生時代のバイト、授業サボってもバイトに精出したりの楽しい思い出がある。
新橋の旭通信社(懐かしくて検索したら、今現在は本社の場所も変わり、社名も『アサツー・ディ・ケイ』と変わっていた)というところによくバイトで通った。
私は実家が茅ヶ崎なので、よく湘南電車を通学通勤に使った。今あの距離を電車で通えと言われたら出来る自信がない。
3年前に日本へ行った時、東京駅や横浜駅の人混みを見て怯んでしまった私だ。昔はあんな雑踏何でもなかったのに。
新宿駅や渋谷駅も平気で歩けたのに。
私の夫は渋谷に長く住んでいたので、カナダ人のくせに私よりも詳しかった。
新宿というと反射的に思い出すのが、『中△屋』のバイトだった。
確か3階だか4階だかの『ラ・コンテ』とか言う名前のレストランのウエートレスだった。
それも相当ふざけたウエートレスだった。
一緒に『中△屋』の面接を受けた同級生は、1階入り口で、『中△屋』のハッピみたいなのを着せられて寒空の下、ワゴンセール販売を担当していた。私がぬくぬくとした結構高級な雰囲気のレストランで、可愛いシャーベットオレンジのミニドレスに白いレースのエプロン姿で働いていることに、彼女は激しく嫉妬した。
仲たがいしたわけではないが、何となく彼女の私に対する態度がつっけんどんであった。もし、逆の立場だったら私も同様であっただろう。寛大に(?)受け止めなければならない嫉妬だったのだ。
皿洗いの荒々しいオバサン2人に最初意地悪されたがすぐに仲良くなった。
お饅頭や煎餅、かりんとうなど「オバサンおやつ」もよく調理場で貰って食べた。
2人のコックさんも優しくて、なにかとこっそりちょっとしたものを作って食べさせてもらったりと、親切にしてもらった。
ここにはよく近所の老人クラブの人たちがやって来てお茶することがあった。
それも見事に皆さん揃って入れ歯でパフパフ喋るので、注文が簡単に聞き取れなかった。
そのくせ、小難しい名前の物を注文するのが不可解であった。
ボルシチ」→「おしち」→「お七」?
【あたひはね、お七】
「ピラフ」→「ひあふ」→「火あぶり」?
【オレふぁねえ、火あぶり】
ピザトースト」→「ひあと」→「日雇い」?
【ああた、日雇いになさいませよ】
なんて聞こえてくるんだよ、笑わずにいられる?

中でも極めつけは「パフパフぷぷぷあっぱっっふふふぇええ〜〜」とパフェを注文したおじいさんだった。
私はその場で笑い転げて動けなくなってしまった。
そこに飛んで来た店長からその後こってり絞られたのは言うまでもない。