書く仕事 書き散らすことの意味

仕事で書く場合と、普段の書き散らし、例えばこのブログをはじめ、FBやツイッター、インスタなどに書き散らしている内容はほぼ日記や独り言同然。
書き散らしの方はもちろん校正なども付かないから誤字だらけだし(笑。
後者は全くの私だが、前者はこれまた全くの別人の如し。
名前も別だし、使っている言語はフランス語、英語、日本語。
本名は全く使っていないので誰も知らないと思う。
書く仕事は丁度30歳の時から始めたからもう30年以上が過ぎた。

仕事の場合は感情はほぼ入れずに書いているし、分野も非常に堅苦しく。
だからこうして、素の自分に戻って書き散らすことが唯一のストレス解消にもなっている。
好きなだけ思う存分書くのは書けるのは本当に気持ちがいい。

言語力 生きる逞しさ

smart-flash.jp

へえ~シャープって「台湾の鴻海の子会社」なのか。
それだったら確かに英語は必要かもね。
ちなみにパリの日系商社に勤めるフランス人たちはフランス語を押し通し、たまに妥協しても英語まで。
日本語は殆ど話せず、というのが現状。
遣われている身でもその図々しさ、太々しさw 
少しは日本人もそのくらいであっていいと思うよ。
そのくらい堂々としていた方が却って他言語の習得にもいい影響を及ぼすと思う。

例え英語の表現をどこかちょっと間違ったぐらいでそんないちいち気にしなくていいと思うが。
自分が言いたいことはこうなんだよ、と。
それが通じないオマエが悪い、と日本人を除く殆どの地球人たち並みに自分中心、自分基準、自分を軸に世界は回っているぐらいの太々しさがあって初めて彼らと渡り合って行けると思うよ。

日本で片言の日本語を駆使して日本人たちを次から次と堕とし込んで行く外国人の詐欺集団がいるけど、あんな片言の日本語でもああやって図々しく、1人でも多くの日本人を騙してカネをふんだくろうという、まぁあそこまで見習えとは言わないが、あの報道を見ていてなんて図々しく、それと同時に「なんて逞しい」とさえ思った。
言語力なんてそんなもの。

日本の人たちはあまりにも真面目過ぎて堅苦し過ぎて、言語力を変にエリート化させてしまう、英語など他言語を話せるなんて凄い!とついつい見上げてしまうから先へ進めないんだと思うし、日本は地理的に他言語を学ばなくても生活して行ける国だから仕方が無い、そのくらいの開き直りがあってもいいと思う。
「会社から頼まれて仕方なく英語で話してあげているんだよ、こっちは」ぐらいの意気込みであればいいと思うよ。

今となっては外資系に通う私・俺、的な感覚で、毎日外国に通っていると、そういういい意味での勘違いで通勤してみるのも決して悪くないと思う。
そうすればいつの間にか国際的な私・俺の出来上がりさ。
また、日本国内でそんな強制的に英語で生活させられる場所は非常に限られていると思うから、それを逆に利用できると考えるのもいいかもね。
私の今迄の職場、帝国ホテル、小学館JTB、これ全部英語はマストだったし、仕事はほぼだいたいが英語で行われていた。
JTBではケベック州での対応には勿論フランス語が必要だったし。
こういう境遇にいたからこその言語習得だったと今頃しみじみと痛感。