10年前

今年も快晴、9月11日。




あれから10年。
10年前と今と、生活は大きく変わった。
職場も職種も変わった。
生活拠点をパリにも持った。




あの日。
9時からのツアー中、10時頃に事件のことを知った。
ケベック州もテロの的になる可能性大ということで、即刻ツアーを中断。
お客さんそれぞれの延泊手続きに駆け回った。
日本からの添乗員さんが付かないツアーのため、4つのホテルを一人で掛け持っての交渉だった。
どこへ行ってもみな大混乱状態だった。
泊手続き後、そのままデスクにて待機、お客への対応に追われる。
夕方からケベック国際空港へ向かい、そこで待機。
空港にいるのは、職員らと私だけ。
知らない顔だったら絶対にあんな場所に居続けることは不可能だった。
普段から仕事上で付き合いのある職員たちだったからこそ空港待機を特別許可してくれた。
飛行中の飛行機がどの飛行場に着陸するかまったく分からない状態だった。
結局、ケベックの空港には一機たりとも着陸することはなかった。
夜の9時頃にやっとのことで解放された。
空港に入ってからずっと携帯電話を没収されていたので、オフィスとのやり取りはすべて公衆電話からだった。
今ほどネットも充実していなかったので、事件の画像確認などとても出来なかった。
まだまだ固定電話とTVの時代であった。




帰宅後、すぐにTVにて初めてあの惨い場面を目の当たりにする。
もう夜の11時を回っていた。
若干一組を除いて、お客さんたちがとても理解ある人に恵まれ、助けるべき立場である私が、逆にお客さんたちから励まし助けられた。
私がデスクに待機していると、お客さんたちがホテルに戻らずにまるでデスクにしがみつくようにしていて、私がどこかにちょっと移動するだけで、お客さんたちもぞろぞろと付いて来ていた。
これから空港で待機することになったと告げると、不安そうにして各ホテルへと解散した、あの時のお客さんたちの顔が忘れられなかった。
他の担当者にバトンタッチはしたものの、あれからどうやってカナダ国内を移動され、どうやって帰国されたのか。
ずっとずっと案じていた。




10年前のケベックシティの新聞。