不思議なアジアンテイスト

父の住む介護ハウスにて。
どのお部屋も、「赤毛のアン」のようなインテリア、さすがカナダ!と思わせるような素敵な介護ハウスだ。
父の部屋にも、深緑色に花柄の窓掛けが付いていて、その向こうには針葉樹の森が続くという、まさに絵のような窓が二つ。ベッドカバーも、ソファに置いてあるクッションも、全体的に色を合わせて落ち着いたグリーン系。母として、私たちが住みたいぐらいの素敵な部屋だよね♪と喜んでいたのも束の間。
ある日のこと、介護ハウスの所長さんが、神妙な顔つきで、「あんなカナダのような雰囲気の部屋では、ムッシュー(父のこと)がホームシックになって寂しい思いをされるでしょう。少しでも日本の雰囲気を出せるよう私たちで精一杯努力します」と。所長さんとは、ピエレットという60代の女性で、娘さんと一緒にここを経営している。
「日本の雰囲気」?・・・一瞬、私は固まった。
「いやいや、今の雰囲気でもう充分素敵です」と私が言っても、ピエレットは聞く耳持たず。「う〜む、どうしようかしら・・・」と腕組みをしながら、目は遥か遠くを見たまま、その「日本の雰囲気」プロジェクトで頭がいっぱいの様子。
あの「赤毛のアン」の部屋をどんな風に改造してしまうのだろう。当然、私には一抹の、いや、山のような不安があった。今までの経験を思い返すと、だいたいそれがどういうことか、私には分かっていた。


欧米人たちの言う「日本的な部屋」というのを過去に何度か見せて貰ったことがある。
畳の部屋の真ん中に金魚(鯉じゃなくて)を放した「小川」を作ってみたり、畳が一畳だけ部屋の真ん中に置いてあり、その周り一面に玉砂利を敷いてみたり、しかも畳も、まるで道場で使われるような固い固い畳で、とても座れるものじゃないし、ベッドルームなど、もうそこは「耳なし芳一」の世界。ベッドカバーからシーツ、枕カバー、カーテンやクッションに至るまで、すべて漢字尽くめにしてしまうし、そのベッドの頭の上には、壁に恐いくらいに巨大な、紫の羽がいっぱい付いた扇子が黒々と飾られ、その近くには銅鑼(ドラ)が置いてあったりと、実にその摩訶不思議な世界に言葉を失うのである。


さて、数日後に、ピエレットから電話が来た。
「ぜひ見に来て下さい!とても素晴らしく出来上がりましたよ!まるで日本にいるみたい!」ピエレットは嬉しそうに、そして興奮していた。ちなみに、ピエレットは日本に行ったことは、無い。イヤな予感がした。
実際、行ってみると、果たして私の予感は完全に的中していた。
日本的だったらいい。でも、そこに見えるのは、まるで中華飯店のようになってしまった父の部屋だった。
ケベック人にとって、いや、欧米人全体にこういうことは言えないだろうか、日本だろうが、中国だろうが、ベトナムだろうが、大した違いは無く、アジアンテイスト一つに纏められてしまうのである。
愕然とする私の背後で、ピエレット母娘は実に嬉しそうにしている。振り返ると、満面の笑顔で、私の喜ぶであろうアクションを今か今かと待っている様子。私は引き攣った顔のまま、力無く笑って見せた。何の言葉も出ない。
肝心な父と言えば、もうまるで辺りは目に入らず、今や自分の世界だけに生きているので、「パパ、どう思う?このお部屋」と訊いても、ベッドの上で「♪あ〜たまを雲の〜上に出〜し♪」と、『富士山』を繰り返し繰り返し歌うばかり。嗚呼。


壁には、これが飾られている。ピエレット母娘で一生懸命に作ったものだ。
とにかく、彼らにとって簾っぽいものが、アジアンそのものだと思い込んでいるのだろう。




ここにも、「耳なし芳一」はあった。
ソファに置かれたクッションなのだが、「これを見付けるのに丸半日掛かりました。でもそれはとても楽しい時間でした」とナンシー(ピエレットの娘さん)。

とにかく「耳なし芳一」スタイルは、欧米では根強い人気を保っている。

パリのある有名ホテルでも、ロビーの一角がこのように・・・

折角、こんな素敵なロビーなのに、ね。


・・・さて、話はパリに飛んでしまいましたが、ケベックに戻します。




天井のライトも、笠にこんな風に簾を巻き付け・・・ピエレット曰く、なかなかの「苦心の作」だそうで。
簾に色を塗って、笠に合わせて切ったとか。確かに大変だったであろう。




これも簾作品。ナンシーとナンシーの旦那様との共作だそうで。




この下に付いている房が、何とも言えぬ中華飯店の雰囲気を醸し出しているではないか。




そして、極めつけはこの窓掛けだ。

どこから彼らはこんな珍しいものを見付けて来たんだろうか。

介護ハウスに行く度に、介護スタッフの皆さんが嬉々として、私にこの文字の意味を問う。
特に「友好 忍耐」の方は、まさに今のこの私に投げ掛けられているメッセージのような気がしてならない。


窓の向こうに広がる「赤毛のアン」の森も、これを通してみると、なんだか中国のどこかにいるような、そんな気分にさせられる。

手前のゾウさんのぬいぐるみは、父がここに入った時に、ピエレットからプレゼントされたもの。年老いて子供に帰るとは本当なのか。




父の部屋から廊下に向かって見たところ。

ね?介護ハウス全体的に、こんな素敵なところなんですよ。
団欒室には、大きな石造りの暖炉もあるし、裏庭には、ゴージャスなプールもあるし。
私としては、もちろん以前の「赤毛のアン」に戻して貰いたいわけだけど、もし、そんなことをピエレットたちに言ってしまったら、豪くショックを受けるであろう。
皆さんだったら、どうしますか?


この部屋の主である父も、今や喜怒哀楽の感情さえ赤ちゃんのようになってしまって、この部屋の様子など何も訳が分からない。でも、横になってベッドの淵をトントン叩いて拍子を取りながら、元気よく『富士山』を歌っているその姿を見ていると、目くじら立てて騒ぐようなことでもないだろうと、静かに思うのである。
父さえ快適に過ごせれば娘の私としてはそれで充分満足だし、こうして父の心の中に「日本」があるのだから、これで良しとしよう。


あたまを雲(くも)の 上に出し
四方(しほう)の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士(ふじ)は 日本一の山
 

青空(あおぞら)高く そびえたち
からだに雪の 着物(きもの)着て
かすみのすそを 遠くひく
富士は 日本一の山 

生涯、心底日本人、父も私も。


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