開拓移民の人々

昨日のブログに登場した義母は、もうすでに天国の人だが、時々彼女の話してくれたことを思い出すことがある。
国際結婚でも嫁姑の争いというのはあるらしいが、義母はとにかく立ち入って来る人ではなく、素朴で正直で、とってもお洒落さんで、私は大好きだった。
義母は、なんと17人兄弟。
嘗てのケベックでは、開拓時代丸出しの「生めよ増やせよ」政策のために、1ダース生むなんてことはめずらしくもなかった。
その17人を生んだ人を私たちは「タンゲのばあちゃん」と呼んでいる。
タンゲなんていうと「丹下さん」みたいでしょ?Tanguayと書きます。ケベックではよくある苗字。
同じ名前の家具屋さんがケベックにあるけど、あれは、「タンゲのばあちゃん」の弟ロミオが創立したもの。ロミオ(フランス語の発音だとロメオの方が近いかな)なんてすごい名前だが。その息子のモーリスが、今現在の社長だ。モーリスは義母の従兄弟になる。TVのCMもあるけど、このトラックの方がよく目に付くかも↓

ここまで兄弟の数が多いと、もう誰が誰だか自分たちでも分からなくなっているようだ。益してや私なんかから見たら、さっぱりチンプンカンプンなわけで。だから、冠婚葬祭、特に結婚式や葬式となると、大きな会場にわんさと人が集まっていて、ちょっと紹介されても誰だかピンと来ないが、更には連れ子していたり、何度か結婚していたりするともう分からなくなって来る。それでもみんな楽しそうだから開拓移民は面白い。


当時、子供を産むのは、たいがい自宅だったそうだが、危険な場合だけ医者が呼ばれ、それ以外は、近所の女性同士で助け合ったらしい。義母も、近所の子供をなん人も取り上げている。極めつけは逆子の時で、「その時は腕の付け根までオイルを塗って、手を突っ込むのよ。それから赤ちゃんをクルッとひっくり返すの。ちょっと触っただけで簡単にひっくり返るからね。胎児はとても柔らかいから・・・」
聞いていた私こそひっくり返りそうになった。
ちなみに、義母は11人、夫の長姉は15人産んだ。
なんかみんなして競争しながら産んでいたような、そんな雰囲気も無きにしも非ず。


タンゲばあちゃんも義母も、純粋なフランス系だ。他の血が混ざらなかったらしい。
また、フランス系にしては長身な家系である。
そうそう、義母のお父さんの名前がなんと「ナポレオン」!


義父の家系は、アイリッシュの血が混ざっている。義父の祖父母も母親もアイルランド生まれのアイリッシュだ。義父の母は、パイプオルガン奏者だった。幼い頃に両親と死別し、フランス系の家庭に育てられた。名前もエヴァ、英語系である。


義父方がフランス南西部ボルドー付近のPoitou、義母方がフランス西部のLa Rochelle、それぞれの出身である。
ケベックに渡って来たのが、義父方が1687年10月6日、義母方が1650年9月1日。
家系図には、古いフランスが描かれている。

長女は父親が違うので、また別な家系図がある。
父方がフランスのパリのシテ島、母方がフランス+イタリアとこれまた複雑だ。
いつの日か、子供たちと一緒にヨーロッパまで遡って旅をしたい。