引き際の美学

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081119/trd0811190821004-n1.htm
退職したのに元の職場に未練がましく現れたり、芸能人なんかも、引退宣言をしておきながら、これまた未練がましく芸能活動を最初コソコソと、時間が経つ毎に何事も無いような顔して続けているのとか、私はそういうのが好きじゃない。各々の事情もあるだろうが、未練があるんだったら、何も退職や引退していることも無かろう。「さよなら」と言ったら「さよなら」だ。


私が一番に引いてしまうのは、いきなり喧嘩腰になる人。
勝手に勘違いして、勝手に怒り出す人というのは本当に驚く+恐い。
私も、頂いたメールや電話などで平常な内容であってもカチンと来ることもあるが、はてさてその相手の真意は?ということで、怒る前に相手の意見を訊くことにしている。すると、殆どが「ああ、そういうことか」と辻褄が合い、感情的にならないでよかったとホッと胸を撫で下ろす。だから、こちらに何も問わずにただひたすら怒り捲くるという人格がよく分からないのである。そういう面を一度見てしまうと、もうその人とはお仕舞いだ。
謝罪、いや、そういう人格の述べる謝罪というのは、「申し訳ありませんでした。でもそちらにも非があると思います」みたいな、飽くまでも相手が悪いんだと言いたい、つまりは、謝罪と言いながら、決して謝罪ではないのである。
それまでのお付き合いの中で、致命的な一言が原因で、私の方からさよならすることもある。いや、実際は一言目でも(きっと虫の居所でも悪かったのだろうと)我慢してお付き合いするのだが、やはりどうしてもそれが後を引いてしまう。そして、そのまま静かに観察していると、「ああ、やっぱりね」という正体を見てしまい、それでさよならとなってしまう。
しつこいメールなどのやり取りも耐えられない。仲のいい友人たちとは、とてもいい距離感を保ってのやり取りなので、こうして長続きしているのだと思う。子供じゃあるまいし、当然の人間関係、そしてお付き合いのマナーだろう。
また、そこまで他人を怒らせるのは、それが「最後」と思って言っているんだろうと私は思うようにしている。だから、捨て台詞みたいなことをぶつけて来る人とは金輪際さよならなんだけど、そういう人格に限って、未練がましくグズグズ言って来るのがこれまた困るのである。こちらとしては、「去るものは追わず」なんだけど、去るのか去らないのかはっきりしないグズグズが潔くないなと思う。そんなに未練が残るのだったら、最初から言葉に気を付けろと言いたい。
謝罪など一切無し、とか、頭っからいちいち引っ掛かって来ては怒り捲くるお客、なぁんてのは論外だが。


ケベックで暮らしていると、相手を傷付けるような発言というのは、最悪の場合、裁判まで縺れ込むことがある。
だから、論争する時も、論争の仕方がある。
こちらの子供たちは、小さい時から、冷静な話し合いの方法や、自分の意見をきれいに纏めて伝えるという教育を受ける。相手の言うなりにならない、しかしながら相手の意見に耳を傾ける、自分の意見を通す、短い時間でどれだけ自分の意見を伝えることが出来るか、などなど徹底して叩き込まれる。だから、論争が喧嘩にはならないのが殆どだ。自分が腹立たしく感じても、先ずその相手に真意を問い質す、その場合も感情的にならずに、「どういう意味なのか、説明して貰えませんか?」と飽くまでも丁寧に訊く。それでもギクシャクしてしまった場合は・・・終りである。終わればそれ以上お互いに傷付け合うこともなく、被害を最小限度に抑えることが出来るのだ。でも、カナダ人やフランス人たちとの人間関係でそこまで拗れるのはまず稀なことだ。かなりの言い合いをしても、その後もまた普通にお付き合いが出来るから助かる。ちょっと時間と距離を置いてまた付き合いが始まることもある。
こういう人付き合いを覚えたのは、ケベックに来てからである。


「重要なメール、質問しているメールに答えて貰えない時、どうしたらいいのか?」という相談をよく彼方此方の相談HPで目にするが、そこで遮断しても差し支えない人間関係だったら、それはそれで終わっていいと思う。利害などが絡んで遮断するわけには行かない場合もあるが。こちらから質問しているのにそれをはぐらかしたり、重要なメールに対して返答もよこさないようなのは、誠意が無いと判断していいと思う。
ビジネスに限らず、数回メールを送っても返答が無い場合は、当然そこで終りでしょう。相手に何か事情があるんだろうとはあまり思わないようにしている。相手からの終りのサインだと認識する。誠意が無いものに誠意で応える必要も無いだろう。


言葉使いの丁寧なメールなどを頂くと、例えちょっとイラッと来てもなんだか許せてしまう時もある。
昨日、日本領事館から頂いたメールも、内容は多少納得出来ない部分もあったが、とてもしっかりとした文体を拝読して、「ま、仕方ないか」と思い留まった。きちんとした文体が、あれだけの効果があるんだとあらためて思い知らされた。美しい日本語を一生日本人として誇りを持ち、忘れないようにしたい。
私が仲良くさせて頂いている友人たちとは、言葉を必要以上に崩したりすることはまず無いことだ。例え崩しても乱暴にならないように注意している。これも、尊敬の気持ちの表れだと思う。日本語以外でも同様。
他人を下卑たような言動、上から目線的な物言いなどは、友情以前の問題だ。


プロフィールにも明記してあるが、何かを売り込もうとして接近して来たことに気付いたら、当然その時点で終りだ。私を利用して何かを成し遂げようとしていることが次第に見えて来るととても悲しくなる。以前、パリでそんな思いをした。


人間関係が一度壊れてしまったら、なかなかそれを繕うことは難しい。また、歳と共に、繕おうとするエネルギーもだんだんと弱くなって行くように感じる。だからせめて、引き際だけはきれいでありたい。


リンクしつこい。第一そのしつこさが嫌われるのでは?
エンドレスなメールやコメは気が遠くなる。
他人の領域というのをきちんと把握してほしい。
また、こちらが多大な犠牲を払ってプロデュースしようとしていたなんて、皆目理解しようとせず、な失敬な態度には、だいぶ前から苛立っていたことが伝わってなかったみたい。
その生き方がそのままライフスタイルにも如実に表れているようだなと痛感した。