僕と私

日本の政治家が何か喋っている動画を見ていた夫が突然、
「今の日本では〈僕〉の使い方が変わりましたか?」と訊いて来た。
「な、なぬぅ?」私は質問の意味が分からず、一瞬戸惑った。
その政治家が、盛んに〈僕〉を連発していたらしい。
夫は、大昔に日本で日本語学校に通っていた時、目上の人に対してや、
公の場では、〈私〉を使うよう、厳しく指導されたと言う。
日本に住んでいた時も、大人で〈僕〉を使う人を、夫はいやに気にしては
「あの人は自分のことを〈僕〉と言いますね」と陰口を叩いていた。
私は日本人として、別におかしいとは思わないので、そうかしらと軽くスルーしていたのだが、
日本に到着して早々に、〈私〉を使えと厳しく教えられた夫としては、
それは生涯忘れることの出来ないことのようだ。
もちろん、公文書に〈僕〉を使う日本人はいないだろうけど、
高齢の方が「僕はねぇ・・・」と言っているのを見ると、おお、若々しいな、なんて思うけどね。
夫は、他にも当時学んだ日本語で、今はあまり使われていない表現を使うことが度々ある。
例えば、今だに「旗日」と言うし。今の若い人たちには通じないかも知れない。
私と一緒になってからは、だいぶ夫もくだけた、ふざけた、口語体を数多く覚えたようだ。



昨年は3度あった

日本からお客様が到着すると、会社のプラカードを持って空港でお出迎えをする。
添乗員さんの付かないツアーは、お客様方だけでケベック空港に到着される。
ご挨拶をすると「あ、日本語だ!」と皆さん感動される。
余程、空港や機内で不安な思いをされて来るのだろうか?
その後、各ホテルまでご案内するわけだが、大概はそこに忽然とベンツやリンカーンが登場するので、
お客様は喜んで早速写真撮影される方が多い。
時には、芸能人仕立ての巨大なクジラが来ることも。
各ホテルまで渋滞が無い限り約30分。
車から降りるのが厭そうな方も多い。「え、もう着いちゃったんですか?」とか、ね。
それからフロントでチェックインのお手伝いをして、部屋の鍵をお渡しして、ホテル内の案内などを済ませたら、
各自客室に上がって頂くわけだが、お客様が部屋に落ち着かれるまでの間、ちょっとの時間だけど、
ロビーなどで待機しているのだが、たまにお客様が降りて来られて、「お湯の出し方が分からない」とかもあるし、

「これからその辺を歩いて来ます」というお元気な方など、様々である。
それで、である。
昨年はここで3度、お客様から「スーツケースが開かない」の声があった。
鍵は開いたんだけど、スーツケース自体が開かない、と。
スーツケースの噛み合わせと言うのだろうか、閉める時に、ズレがあるとそのまま固まってしまうことがある。
特に、中身をぎゅうぎゅう詰めにすると、この現象が生じ易くなるらしい。
基本的には、客室までお邪魔することはしないのだが、そうも言っておられず、客室にお伺いして、
床に寝たまま状態のスーツケースを宥めにかかる。
宥めるも何も、これって簡単なんですよ。あ、例外もあるとは思うけど。
「私がスーツケースの上に攀じ登ってもよろしいでしょうか?」
「え?あ、はい、も、もちろんです!」
一瞬お客様の表情に浮かんだ微かな躊躇を私は見逃さない。てか、敏感になるのよ、太ると。
「もう何でもやって下さい。壊れてもいいから」(笑)
「いや、壊れたらアウトですよ、それこそ」(笑)
時には、中には大事な薬などが入っていることもあって、(笑)っている場合では無いこともある。
控え目に、非常に控え目に、私がお客様のスーツケースに攀じ登ると、ガチッという手応え、いや、
身体応えがあって、スーツケースは程なく開くのである。
「わぁ、やった〜!」
「開いた、開いた!」
「ありがとうございます」
「よかったですね」
お客様方と手を取り合って喜び、にこにこと浮いた足取りで帰路に着く。
こんなことが3度あった2007年。
さてさて、今年は何度あるかな?
皆さんも、旅先で同様のハプニングが生じたら、全身の体重を込めてスーツケースに攀じ登ってみて下さい。
余程の理由が無い限り、開きますよ。