血は争えない

わが家にとってのフランスと言うのは、単なる憧れの国ではなく、歴史で繋がった国なのだ。
今回のフランス旅行で、次男と長女はもちろん初めてのフランスだったわけだが、話す言葉、目に入ってくる文字、すべてすべて自分たちの言葉であるフランス語なので、何の抵抗も無いわけだし。更には、彼ら曰く「ケベックと繋がっているような不思議な国」なんだそうな。フランス人たちにとってもお互い同じ血が流れているという思いや親しみがあるらしく、何とも言えない同胞としての雰囲気がある。血は争えないものである。
          
わが家とフランスとの繋がりは、家系図を見ればもう一目瞭然だ。
ケベック人で自分の家系図を持っている人は多い。
わが家にある家系図は2枚。主人の父と母のがそれぞれ1枚ずつ。
ケベック人やフランス人の家系図は、教会や大学の図書館はじめ、ケベックやフランスの資料館などにも保管されて一般公開されているので、プライベートなものではありません。つまり誰でもその家系を調べたり研究したりすることが出来るのです。


これが父方。フランスから渡って来たのがピエール・ジャン。その父親の名前はギヨーム。
1687年10月6日、フランス西部のポワトゥ地方から渡って来た。
ご覧のように、右側写真のように、フランスを土台に大きな木を形作っている。
ちなみにわが家の次男フレデリックが第12代目となる。
 


これが母方。父方とほぼ同じ地域から渡って来ている。ジャンという人だったんだね。その父名がニコラ。
おや、こっちの方が早いぞ。1650年9月1日だ。そうそう、ケベック人の中には「へっへー、こっちの方が先だね」と、
渡って来た年代を勝手に競争したがる人もいる。
  
つまりケベックに渡って来た人の親、「ギヨーム」や「ニコラ」をフランスの教会や資料館などで調べて行くと、それぞれの末裔に出会うことが可能なわけだ。


現在でも、父方の苗字は、彼らが渡って来た地方である「85」と「17」の地域に集中している。

苗字の分布で、その家系の出処や家紋なども知ることが出来る。その家系の繁栄力も窺えることも。家紋は印刷・コピーを有料化しているセコイ会社が殆どで、ここに披露出来ないのが残念である。熊が冠被って歩いていたり、鳥が何かを食べていたり、どう見てもスープをかき混ぜるような木ベラみたいのがデーンと鎮座していたり、となかなか愉快な家紋も少なくない。


☆右上の紋章は、フランスの出処ポワトゥ地方の紋章です。
☆あ、日本の旗が無いけれど、日本人としての誇りはいつも忘れずに持っています。永遠に、ね。
☆あの、わが家のフランス移住って、なんだか恋の逃避行と思われてしまっているようなんですが、家族全員+老いた両親も一緒ですので、ご期待に沿えるような展開にはならないと思います。