友達のブログを読んでいて「バヌアツ」を発見!
南太平洋にYの字に並ぶ小さな列島で、私はそこに二度行っているのだ。
何とも言えない懐かしい響き「バヌアツ」。
一度目の時は英仏両国に統治された島で「ニューヘブリデス」と呼ばれていた。言葉も英仏両方使えた。
当時を振り返って特集を組もうとしたが、だいぶ無くしてしまったものが多いのにがっかりしてしまった。写真なども日本に置いたままのもあるようだ。ニューへブリデス時代の可愛いピンク色が基調のお札も持っていたはずなのに・・・どこを探しても見付からない。悔し〜い!
ところでバヌアツの位置は、オーストラリアの右上がニューカレドニア、その更に少し右上のところに位置している島々だ。
一度目の時、私は20歳だった。
当時、帰国後に作ったアルバム。これにも書いてあるように生まれて初めての海外旅行であった。
この私の着ているのがバヌアツの民族衣装。まだ大事に持っていますよ、ほら、この通り。
左からLilly、Betty、私、Ellen、Caroline、Urgen
花を髪に挿す時は、独身だったら左、結婚していたら右なんだそうです。ちなみにこの習慣はバヌアツでのこと。南太平洋のフランス領の島々には殆どこの習慣が残っているそうです。タヒチ人の友達も同様だと言っていました。ハワイのようなモザイク文化の場所では、こんな習慣もゴチャゴチャになってしまっているんじゃないかしら?
ハイビスカスだけでなく、ティアラを挿していた人もいた。私的にはティアラの方が好きかも知れない。
これがAli、私と同い年。だから彼も今は46、7歳のおっさんになっているはず。もしかしたら孫とかいたりして。
このドレスも持っています。
この後、ニューカレドニアに行った。
これは母が『100イデー』という雑誌に載ってたサンドレスをモデルに作ってくれた。
これがモデル。
そして、このサンドレスも持っています。そろそろ娘に譲れそうかな?
無人島にて。私にもこんな時代があったのよ・・・グスン・・・。
そして二度目。5年後のこと。同行者は潤一郎の父親。彼とは最後の旅となる。
25歳の私。
ここも小さな無人島。どういうわけかお墓があった。でもなんだかとてもこの場所が気に入ってしまったのである。
カメラは壊れるし、幽霊には遭遇するし、ニューカレドニアからバヌアツまでの小さな飛行機が嵐に遭って墜落しそうになるし、結構トラブル続きの旅だったが、いいこともあったよ。