日本政府への不信

日本国籍

以前は日本へ帰ることばかり考えていたのだが、もう私は、日本では生活出来ないと思う。
保険や年金も、今更ながら手続きが面倒だし、なんだかんだ言ってもやっぱりこちらでの生活が、自分には向いているのだと思う。
日本人としての誇りは一生大事に持ち続けるけれど、近々、日本国籍を捨てる覚悟でいる。
何も好きで捨てるのではない。
残念なことに日本は二重国籍を認めないからである。
そのせいで様々な障害が生じて大変都合が悪い。
カナダ人やフランス人がお互いにとても簡単に行き来しているのを、私はいつも指をくわえて見ているのだ。
就職したり、不動産を買ったり、転校したり、が、いとも簡単に出来るのだ。
カナダ人と米国人も然り、だが、米国には全く興味ないし、戦争やっているうちは断固として反米主義の私には羨ましくも何とも思わないが一例として書いただけ。
昔、ケベックに来たばかりの頃、カナダと米国の国境が珍しくて、よく家族で日帰りか一泊泊まりで米国まで買い物やドライブに行ったものだが、国境税関のところでカナダ人である家族たちはさっさと通って、向こう側から私を待っていて、日本国籍の私だけが取調べを受け、ビザ代をガッポリ取られ、買い物量の制限まで付いて、まったく面白くない思いをしたものだ。

選挙権がない?

日本に住んでいた時に、カナダ人である夫のところにカナダ選挙の度に投票用紙が、返信用封筒(返信費はカナダが負担)と共に送られて来ていた。
日本の選挙?往復7時間近くかけて、モントリオールの日本領事館まで投票に来い、だってさ!
誰がそんなことまでして投票に行くと思う?要するに私たちの日本での選挙権は無いに等しいのだ。
日本国籍なんか持っていても全く日本から大事にされていないことがひしひしと伝わって来るでしょ?

日本人の習性

9.11の時にカナダに閉じ込められた日本人たち(主に観光客)に対しても日本政府の対応は実に冷たかった。
全く「国民を守ろう」とする意思が感じられないのだ。
外務省のあの顔ぶれを見てもだいたい想像がつくだろう、今に始まったことではないけれど。
お陰で此方としてはいい迷惑を被ったのだよ。
観光客の対応に追われる私を、まるで私自身がテロの超本人であるかのように、憎々しげに攻撃してくる人もいたのには、今でも思い出すだけで残念に思う。
全く責任のない人間を攻撃する習性は日本人独自のものだ。八つ当たりもいいところだ。
これは日本人最大の欠点ではないだろうか?
観光中に何かトラブルが発生すると、すぐに日本人の場合、怒りの矛先は目の前にいる日本人である我々に対してである。
現地の人に文句を言うから通訳してほしい、と依頼されれば喜んで通訳いたしますよ。
「ふん、フランス語なんか出来たって何も出来やしないじゃないか!」なんて、もうそれはそれは悔し紛れに怒鳴る訳の分からない人もごく稀にいるが、こういう失礼で支離滅裂な発言って残念ながら日本人に圧倒的に多い。

パスポート発行

さて、話は再び外務省に戻り・・・
パスポートにしても同様、やはりモントリオールまで一日がかりとなる。
これがなんとつい最近まで、機械読み取りが出来ないパスポートだったのだ。
数年前までは証明写真を封じるビニールの部分をなんと我々の目の前で、領事館職員が「お母さんのうた」みたく(アイロン掛けバージョンはないが)アイロン掛けして押さえ付ける作業をやっていたのですよ。
あれには絶句だった・・・。
この世の悪者たちに、どうぞパスポート偽造やって下さいよ、と言わんばかりではないか、あんなお粗末な!!
どこが先進国?って思ったね。
どんなにアフリカの奥地でさえ、機械読み取り式が一般的なこの時代に、である。
やっと読み取りが実現した時には、「今すぐに機械読み取りのものとお取替え出来ますが、残った有効年数はゼロとなります」とこうだ、それも大威張りで。
仕事仲間が10年有効パスポートを作った数ヵ月後にこの発令だと怒り爆発だった。
それでは「お取替え」という表現は間違っている事になる。
外務省の人たちって日本語出来るのかしら?
またこれはつい最近の話だが、日本の私の実家に外務省から葉書が一枚送られてきたそうだが、それによると「まだ機械読み込みのパスポートになっていない人は、米国には入国出来ません」という「なあに?今更」という内容。それも何故日本の実家になど送られたのか?理解に苦しむ。
因みにカナダの場合、パスポートは必ず書留にて郵送される。カナダ国内にいようと、世界中どこにいようと。

日本*事館

今年の夏にケベック市で開催される国際フォーラムにケベック在住の皆さんにぜひ参加して頂きたく・・・なんて
モント*オール日*領事からお達しお願いが出ているが、これが見事にタダ働き!
国民を奴隷のごとく使えると思ったら大間違いなのですゾ。
おまけにケベック市に対して、どの国も参加費用を払い、協力者らにも何らかの謝礼を払うのに、日本だけがそれを拒絶していると、ケベック市国際担当者が嘆いていた。
まったくお粗末というか、日本人として実に恥ずかしい話ではないか。

両親への思い

日本で暮らす両親のことも此方に引き取る予定だ。年齢的に生まれた故国を離れるのは辛いと思うが、年々、老人を大切にしない方向へまっしぐらの日本には安心して置いておけないのだ。
若者に楽をさせ、老人に苦労させる、そんな国に思えてならないのだ。
現在の老人と呼ばれる年齢層の皆さんが、戦後の日本を立派に立ち上げた人々なのに。
家庭単位で見ても、老人を大事にしている、という感じがしない。
私を生んで育ててくれた親を、私は決して決して粗末になんか出来ない。
孝行したくとも親御さんがもうすでに亡くなられている方々の思いをしたら、元気に生きていてくれることは本当に有難いことなのだ。
先日、電話で母と話していて「パリに行ったら、ココとココに行って、それから・・・」と私が一人で張り切っていたら、母がポツッと一言「そんなに歩けないから」と・・・
とたんに私は涙が止まらなくなった。
この秋に両親を連れてパリへの旅行を考えているのだが、一年一年弱くなっていく彼らに愕然とすることがある。
離れて暮らしていると、それが余計辛く感じる。