根無し草にならないために

私のパリ 私のフランス

私のパリ 私のフランス

随分とフランスを美化しているなぁというのが正直な感想。
まだ若い頃、日本に住んでいた頃は、そこまで知ることが出来なかった。
何も彼女の本だけではない。
フランスを美化する本や雑誌は山ほどあった。
ま、愛するあまり、美化するのは人間として当然のことなのだろう。
それにしても、である。
国際結婚、長年の海外在住については、私も同じ立場であるが、
その状況の中で、夫や愛人に「捨てられる」というのは、想像を絶する苦しみであろう。
自分の方から「捨てる」ことですら、かなりの痛みなのだから、
「捨てられる」なんて、あまりにも恐ろしくて、想像さえ出来ない。




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若い頃にこの本を読んだが、その頃は、この苦しみを理解出来なかった。
それよりもなによりも、フランス、パリの魅力の方を読み取ろうとした。
今、読むと、「どうしてこうしなかったのか、ああしなかったのか」「どうしてそんなことになったのか」
「そんなの、こう言ってやればよかったのに」などなど、こっちが歯軋りしたくなるくらいだ。
日本人としての潔さ云々も結構だが、きちんと法律に守られて暮らせなければ、欧米での暮らしは無理である。
意味も無ければ、価値も無くなる。
フランスというのは確かに魅力溢れた国だが、その魅力も、ちゃんとフィルターに掛けて、
しっかりと識別しなければ、とんでもない貧乏くじを引いてしまうことになる。
貧しい暮らしだけが残って、でもそれを、最後の力を振り絞って正当化しようとする、
それまで自分が作り上げて来た歴史を正当化しようとして、必死に滅茶苦茶に盛り(守り)立てようとして、
やがて、力尽きて、祖国へ帰って行く。




欧米での暮らしは、法律と数字、合理性で成り立っている。
日本人の持つ情け心や細やかな感情などは残念ながら通用しない。
いや、これは自分だけが大切に持っていればいい「日本人の心」であり、
欧米社会や欧米人に対しては、日本人に対するそれとは全く違う心でいた方がいい。
そうすれば、一生、「日本人の心」を潰すことなく、穏やかに暮らして行けるのだ。
つまり、使い分ければいいことで。
重ねたり、同化させたり、繋げたりするのは所詮無理なことなので、
はっきりと使い分けると良い。
そうすれば、涙の遠距離家族なんて嘆くことも無く、地球上、どこででも暮らせるようになります。