パリ祭に思うこと

パリ祭という華やかな呼び方は日本発らしい。
本来は、革命記念日だけど、私はこのパリ祭という呼び方が好き。
まるでシャンパンみたいな花火♪




退職してまだ一週間も経っていないけど、もう今までのように時間を気にすることなく、病気の父に専念出来るようになった。
これで一つ、大きなストレスが無くなった。
父はまた発作を起こして入院しているが、新しい投薬の経過が良好で、家族一同ホッと一息といったところだ。
これで、発作も少しずつ治まってくれることだろう。
昨日までの救急病棟から病室に移され、大きな検査も一通り終わって、父の表情も穏やかになった。
今日の夕食は、メインが魚のムニエルか仔牛のシチューから選ぶ。
魚の苦手な父は後者を選択。
たっぷりの野菜に、付け合せのポテトかライスも選べる。
デザートは、クレームブリュレ
何でも美味しい美味しいと食べる父。
一瞬でも以前の父に戻ってくれたら、いろいろと訊きたいことがあるのに。
ずっと私の仕事を案じていた父だが、私が退職したことを伝えても、遠くを見る目をしたまま何の反応も無い。
今回辞めた職種に私が就くことを、父は最初から大反対だったのだ。
人一倍、頭の切れる優秀な父だったのに。
きっと頭を使い過ぎたのだろう。
私の顔さえも分からない時があるが、父と私の生年月日だけは、まだ言えるのだ。
私が生まれた時の喜びの記憶が、まだ頭に残っているのだろうと、母が言いながら泣いた。
父が私に与える苦労の重さは、そのまま、父の私に対する愛情の重さそのものなのだろう。


今までずっと背負って来たストレス。
いつ仕事に穴を開けるか分からない不安。
寝不足のぼんやりとした頭で仕事に出掛け、仕事中も父のことを思い出すと涙が止まらず、お客さんに背中を向けて泣いたこともあった。
不安がきれいさっぱりと無くなったわけではないが、とにかく仕事から離れて、疲れれば昼寝も出来る今の境遇が有難い。
退職願を出す時は、一大決心だった。
スカイプには、フランスから長男と日本から母が、そして、夫と二男と長女、フランスから来ていた友人と、ケベックの友人が一緒に見守る中、退職願をメールで送った。
別に私の退職のためにみんなが集まっていたわけではなく、その日は丁度私の誕生日だったわけだが、この日に決断しようと前々から決めていたので、立ち会ってくれる人たちがいて有難かった。
この時も少し涙が出たが、(ちょっと時間が掛かったけど)正式に受理された時は、17年間のいろんなことを思い出して涙が止まらなかった。
「よく頑張ったね」という自分に対しての感涙が一瞬。
決して後戻りはしない。
立つ鳥 跡を濁さず、である。