黙想会

私は生まれてすぐにカトリックの洗礼を受けている。
教育も幼稚園からカトリックのミッションスクールだった。
神父やシスター(修道女)たちに囲まれて育ったと言っても過言ではない。
学校では、カトリックの生徒だけを集めての様々なセッションが設けられるわけだが、
私はどうしてもそういうものが嫌いで、カトリックであることを隠し通したこともあった。
それでもバレてしまい、シスターたちから大目玉を食らったこともあった。
厳かに礼拝に参加するなど、今でも苦手だし、教会なんかもう何年も行っていない。
あの何十分も立ったり座ったり跪いたりが耐えられないのである。


学生時代に、逃げ回っていた私はシスターたちからとっつかまって、黙想会に参加させられた時が何度かあった。
楽しげに家路に向かう同級生たちを修道院の窓から手を振って見送っていると、
「あなたっ、何をしているんですっ!」と、どこからか見ていたシスターに叱られた。
ベッドと椅子と机と箪笥だけの小さな独房のような部屋で、ロザリオの祈りをしろと言われても、
私はただベッドに横たわって天井を見上げたり、そのうちウトウトと寝込んでしまったり、
窓から外をぼんやりと眺めたり、そんなことしか出来なかった。
二人一組のグループに分かれて、お互いどれだけ祈ったかを話し合うという
全く意味の無いペアが勝手にシスターらの手によって作られた。
気の毒に私とペアになってしまったのがこれまた小さな修道者みたいな生徒で、
ロザリオもきちんと手作りの小さな布製の入れ物に大事に仕舞っていた。
私のロザリオは、何度か千切れて、どこかの親切な神父に直して貰ったりしたものだった。
そのプチシスターは私に向かって小さな咳払いをひとつしてから、どんなことを祈ったのか尋ねて来た。
「どうぞ、あなたからお先に」
私は彼女に先を譲った。
「私は世界の平和、其々の国の貧しい人々が少しでも幸せになって、そして戦争が少しでも・・・・・」
私は途端に眠気を催した。


チャペルでの礼拝は、眠気と空腹で更に辛いものになった。
前に座っているシスターが、苦しそうな喘息の発作を起こしていた。
彼女の苦しそうな息遣いは肩の動きから伝わって来た。
私のすぐ下の弟はひどい小児喘息だった。だから喘息の発作を起こしている人を見るとつらかった。
礼拝が終わって私はすぐそのシスターのところに駆け寄って大丈夫かと尋ねた。
すると彼女の白い顔が私の方を見ないで、チャペルの祭壇に掲げられた大きな十字架を見たまま、
「あなたはいったいここで何を祈っているのですか?」と囁くように言った。


食事だけが楽しみだった。
最初に出たスープの味が何故か奇妙、というか、身に憶えのある味だった。
「まさか・・・」
スプーンで更にすくっていると、なんだか更に身に憶えのあるものが浮かんで来た。
そう、まさにインスタントラーメンのスープと、そこには1、2本の短いラーメンが浮いていたのである。
修道院の質素な生活を思い知らされた気分だったが、それでも腹の空いていた私は最後まで平らげた。