日本語と日本人

こうして日本語で書いたり、読んだりするのは最高に楽しい!この楽しさも日本を離れているからこそのものなのだ。
最近特に感じることが、日本人の表現はよくはっきりしない、だの、オブラートに包んだような、なんて表現されてきたが、私はそうは思わない。
ツボを抑えた発言がとても多い。これは残念ながら此方での生活ではそう数多くないことだ。欧米人はハッキリしている、表現が明確、とはいっても、それが全く的外れな場合は、どうしてもそこで会話は途絶えてしまう。
こうして連日日本の皆さんとお話していると、日本人の表現がいかに的確で、的を得ているかが痛感出来る。
一度も面識が無い人に対して、こんなに情の溢れる表現が出来るのは、恐らく地球上では日本人だけなのではないか?
また、外国語や外国文化にこれだけ理解を示すのも日本人に多いと、私は確信している。もちろん個人差はあるけれど、異質なものに対して、興味を示し、いろんな角度から観察し、それについて情報収集したり、勉強したりすることを全く惜しまない。
ケベックで生活していて、ほんとに心から話せるケベック人を数多く知らない私である。最初は言語的な問題かと思っていたが、在住15年以上になった今、心の構造自体が違う場合が多いことに気付く。宇宙人ではない、同じ地球人だもの、発想はそんなに違わないと思うのだが、どうしてどうして、宇宙人みたいなのがたくさんいるし、わたしのことも宇宙人のように扱う人も結構いる。
そんな中で「あ、この人、私と合う」という人に出会えるのはまさしく至福の時である。まあ、日本人同士であれば誰とでも合うということでもないし、「この人、ほんとに日本人?」と思ってしまうほど異種な存在もあるが、それでも全体的に見ると、日本人の発想力の豊かさ、勤勉さには頭の下がる思いである。