文学的生活

谷崎潤一郎

清泉女学院時代の教師でたった一人尊敬できたのがF田先生だ。
彼女は現代国語の教師で、奈良女卒の才媛である。
先生の選ぶ教科書の中には、様々な作家の作品が1ページずつ紹介されていたのだが、それが私にはたまらない魅力だった。
よく現国の授業で見られるのが、担当教師の一存で、此方としてはどうでもいいような全くの好みでない、お呼びでない作家の作品を深〜く掘り下げられても、ただの子守唄でしかないのだ。
ところがF田先生は違った。「ほら、こんな作家もいますよ〜」と、いろんなタイプの作家を紹介してくれた。
その中で私が釘付けになったのが谷崎潤一郎である。
紹介されていた作品が『痴人の愛』だった。他の授業も友達との会話も全部うわの空。
学校が終わると真っ直ぐに大船駅前の本屋に直行。大作家だから、ウロウロと探す必要もなく、ものの2、3分で買い、湘南電車に乗ってから最初の数ページを読み、家に帰ってから鞄を放り出したまま、「ごはんだよ」の声までずっと読み続けた。うちの親は私がとり付かれたようになって本を読んでいる時は決して手伝えとは言わなかった。いい親である。
就寝前に全部読み切った。私にとって谷崎文学との出会いは、まさしく電撃的であり、衝撃的であった。
それからというもの、他の彼の作品を手当たり次第、小遣いの続く限り「買っては読み」の繰り返しだった。
図書館の谷崎潤一郎全集のコーナーに行くと、さらに本屋の店頭では見られないような作品に出会えた。
ナルシス16歳の時の出会いであった。

嫉妬

常時枕元に置いてあるのが『痴人の愛』『陰翳礼讃』『細雪上・中・下』である。
これらは何度かボロボロになって新しいのを買った。
京都まで谷崎潤一郎のお墓を訪ねたこともあった。墓石に抱きついて記念撮影した。
抱きつく、って、おふざけでしたことではない。真剣な抱擁である。
いや、抱擁というのはおかしな表現だ。相手が抱き返して来てこその抱擁であろう。
う〜ん・・・真面目に抱きついた・・・としか表現出来ない。
谷崎潤一郎の幽霊だけは怖くない。こんな私の前に化けて出るなんて、谷崎にとってもいい迷惑であろう。
隣にあった松子のお墓には強烈な嫉妬を感じた。といってもまだ松子存命の時だったが。

サガン

他にサガンの『悲しみよ こんにちは』と『熱い恋』も枕元に置いてある。こちらも何度もボロボロになった。
一度フランス語のまま読んでみたいのだが、絶対3ページぐらいで諦めそうなので、まだ実行していない。
以前に、ケベックのどこかの本屋でフランス語の文面が宣伝に使われていて、じっと見ていたら、サガンの『悲しみよ こんにちは』の中の一部分だと気付き、ちょっと自信を持った時もあったが、どうやらあれはマグレだったらしく、ラバル大学の図書室で再度読み始めた時は、なんだか違う小説のようであった。
朝吹登水子さんの翻訳は大好きだ。ベルサイユにお住まいだったと聞いたことがあるが、いかにも朝吹さんらしいなとうっとりしたことがあるが、先日フランスからケベックに引っ越してきたフランス人夫婦がいるが、なんとベルサイユから引っ越して来た人たちであった。
「ベルサイユ?ふん!あんなのサイテーな所さ」だって・・・。どうかしてる、そのフランス人たち・・・。

遠藤周作

F田先生から学んだ作家には、他に遠藤周作がいる。
何故あんなに早くに亡くなられたのか返す返すも残念である。特にリヨンやパリの滞在記が好きだ。
遠藤周作の奥様が、薬害について本を書かれているが、あれを読んでなぜ遠藤が亡くなったのかを知り、涙が止まらなかった。薬害ですっかり体調を崩していた両親にも、奥様の本を読むように勧めた。
彼の恐怖小説も大好きだ。実は熱海のある場所で、私と両親は、遠藤周作と同じ場所で怖い目に合っている。
だから彼の作品を読んだ時、あまりの驚きにひっくり返った。
彼の作品に度々登場する「クウ」という犬も気に入っている。
白目をむいて用を足す場面など何度読んでも笑ってしまう。
彼の書くリヨンが私は大好きだ。そのリヨンで生まれた友人ソニアもケベックに暮らしている。
ソニアもどうかしてる・・・。