イザベルの嘆き

友達の家に誕生日でお呼ばれして来た娘のイザベル。
帰って来てから、急に自分のベッドに布団を被ってうずくまっている。
気分が悪いのか?何か不愉快な思いでもしたのか?と問うと、一言、
「どうして、うちは、貧乏なの?」
あれれ、泣いてるよ。布団の陰から、涙目がじっとこちらを見ている。
どこの家に遊びに行っても、大きなプールや、キャンピングカーや、ブランコセット、トランポリン、湖で使うボートやカヌー、TVゲームに、たくさんの漫画や映画のDVD、人形に、自分専用のデジカメや、PCやTVに携帯電話などで溢れ、どの子供も、親から可愛がられているのに、イザベルのうちには何も遊ぶものも無い。今までの自転車が小さくなっても次のものがなかなか買って貰えない。映画やレストランやキャンプにも連れて行って貰えないし、何かを食べ残したりすると、また次の日、それが目の前に並べられる。どこの家でも、子供の好きなものしかテーブルに出さないし、食べ残したものは必ずゴミ箱行きで、うちみたく貧乏な食べ方なんかしていない。こんな貧乏な家庭は他に無いっ!と言いながら、娘は泣くのである。
ここで、私も聖人のような立派な講釈を並べられたらいいのだが、「あ、そう、じゃぁ、もっと嫌いなもの作ってあげる。にんじんとセロリのいっぱい入ったスープなんかどう?」と言いながら、ギュッと娘を抱きしめた。
ヘンチクリンでアンバランスな子育て、これが私流だ(威張るな、私)。