公開ブログの宿命

「リンクフリー」だの「読み逃げ」だの、どうして日本では煩く拘るのか理解出来ない。
インターネット上に自分のブログを公開しているのだから、いろんな人が読んで当たり前なのでは?
読み逃げ」なんて言葉自体、脅し文句のようだ。万人に読んで貰えなかったら公開ブログの意味は無かろう。
私は多くの人に読まれて困るものはプライベートにしているし、この公開ブログがリンクされようが、
コメントを残さず(だいたいコメント欄を設けていないので)立ち去ろうが、
別に何とも思わないし、失礼なことだとは思っていない。
ブログ自体を自分の家のように思い込んでいる人が多いのではないか。
時々妙なアクセスがあったりするけど、それが嫌だったらブログを止めるほか無いだろう。
もしかしたらこれは、日本独自の習慣なのかもしれない。
そうであれば、日本人のブログにはそうそう無遠慮にアクセス出来ないってことなのか?
はてなのアンテナもあまり増やせないね、これでは。リンク貼るのが迷惑行為みたいだし。
アンテナからどんな人が皆さんのところに行くか、そこまでは私も分からないし、責任持てないし。
やれやれ、気を使うね、日本の社会は。


そう言えば、何に対する規制なのか?コメントなのかな?「日本語以外はお断り」というのを何度か目にしたことがある。明治維新みたいな発想だよね。すごいクラシック〜!って驚いたことがあったけど。
でもでも、せめて英語で書いてあげないと万人には通じないんじゃないの?「日本語以外はお断り」って文章を。
日本人のブログにいきなり他の言葉でコメントして来る人なんて実際いるの?すんごい勇気だねえ。


私が自分のブログを読んで欲しくない人種というのが、ブログ内容について読み違えるせいなのか、
慌てて早飲み込みするのか、日本語が読めないのか、はたまた悪意があってのことなのか、
とんでもないナルシス物語を勝手に創作してそれを回りに吹聴する類の人々だ(現在、ケベック州内に発生中)。
そんなに他人の人生に興味を持って読んでくれているとは、本当は心から感謝しなきゃいけないんだろうけど、
健全な興味じゃないらしいから困っちゃうんだよね。
でもね、読まれちゃ困ると言っても、こればかりはどうしようもないよね。
こういう不可解な読者を規制するという考えは、なるほど一案ではありますな。
読んで欲しい人以外は全部シャットアウトしている徹底したブログも最近見掛ける。
でも、新しい出会いとか、新しい人に読んで貰うというチャンスは無くなっちゃうよね。
絶対的なファン?仲間?だけ集めてその中だけでグルグルという世界も安全かもしれないけど、
それだけだと詰まらないし、私だったらすぐに飽きてしまいそうだ。


正直言って、最近ブログにちょい飽き気味、でもある。
先日もどこかのニュースで、そんな内容を読み、ああ、私と同じ考えの人がいるんだなぁと。
ブログもこれから更にいろんな形に変化して行くのかも知れない。