プレゼントいろいろ

今朝から停電になったりして、インターネットも滞ってしまった。
ある時は突然繋がったり、また切れてしまったりの繰り返しだった。
今朝アパートへ帰った息子に聞くと、どうやらケベック市でも停電があったらしい。
なにしろ「中毒」症状の出ている今となっては、インターネットが使えないなんてかなり苦しい。


毎日快晴、青空と強烈な太陽の光はいいのだが、日を浴びているとなんだかものすごく疲れる。
目もまともに開けられないくらいに強烈なのだ。
ケベックに住み始めた当初から、どうも日光が嫌になってきた。
ドラキュラになっちまったのかしら、私って・・・とういうくらいに太陽が嫌だ。
曇りの日でも、その裏にある太陽が強烈なので、目が痛くなるのは避けられないのだ。
眼科の医者に訴えたら、曇りの日こそ目に負担が掛かるという人が増えているそうだ。
雨の日は降る前はよく頭が痛くなったりするが、降ってしまえば心が落ち着く。
雨の日は憂鬱ではあるが、落ち着いてものが考えられる。眠りもぐっすりと深い。


娘が昨日、一日中地下室にこもっていた。
なんでもガラクタでクリスマスプレゼントを作ろうというテーマが学校の課外教室から与えられたらしくて、もうすっかり飽きてしまった昔のおもちゃなどを探していたようだ。
しかし、それにしてもくだらないテーマである!
お互いゴミになるばかりじゃないか。
もらって嬉しいから、役に立つから、プレゼントというのがこの世にあるのではないか。
それをゴミ同然のものを人にあげるなんて!人からもらうなんて!
何か狂ってはいやしないか?
一種の遊び?それでは単なる時間の無駄と思う。
それとも打ち捨てられた物を思い出そう、考えよう、ということなのか?
そういうことから物を大切にすることを教えようとしているのか?
まあそういう理由であれば納得出来るが。
「ただ新聞紙を丸めて入れてもいいの?」と娘に訊いたら、「別に構わないけど、私はイヤだな・・・」と娘、少しでも役に立つものをと、マクドナルドなどファーストフードの店でもらってきた安っぽいゲーム機もちゃんと動くものを探していた。
散々使ったぬいぐるみも、比較的汚れていないものを探していた。
このプレゼント探しに娘は一日を費やし、だいぶ頭も使ったようである。
これが教師の目的だったのかも。
だとしたら、その発案した教師は大した人物である。


プレゼント交換などで、まったく期待外れのものをもらうこともよくある。
それもまたゴミと化してしまうこともあるだろう。
但しこの場合は、人の好みの問題でもあるので何とも言えないが。
開けてみて例え「あらら・・・」状態でも、余程ひどいものでない限り喜びたいではないか。自分を救う意味でも。
人は誰でも「これ、自分がもらったら嬉しいかな?」と考えながらプレゼント選びをするだろう、と私は信じたい。
しかし残念ながらその期待はことごとく裏切られることがある。
3人の子供たちそれぞれ、とくに小学校時代はよくこのプレゼント交換会があるので思い出も様々だが、5ドルと決められた額を真面目に守り、きちんとラッピングにまで凝って持って行っても、交換したものが、いかにも家の戸棚の奥深くに長い間放置されていたような、べたべたになったキャンディーとか、はっきりハロウィーン用お菓子だったり、壊れたおもちゃとか、1ページ目に何か書いてからそれを慌てて消したような跡が残ったノートとか、
その子の親の常識を疑ってしまうような内容も多かった。
こういった浅ましい精神的物乞いみたいな生き方は、心から軽蔑する。
どんなに金銭的に恵まれた生活をしていても、物乞いは物乞いの人生を歩む。


私が今までにもらったもので一番のビックリは、
もうすでに開封したお菓子の箱(2、3個それも減っている!)と、開封したワインである。その常識外れの贈り主は添乗員である。
それも我が家に何泊か泊る予定で来てのことである。
イタリア経由でやって来たのだが、「途中開けちゃったから」が理由だそうで、イタリアで買ったというそのワインも、「これはイタリアでもなかなか入手出来ないキャンティだから」とか何とか、講釈並べて「途中で味見しちゃったの」だって・・・これではまるで冗談コントではないか。
一緒にいた友達とポケ〜ンとする他なかった。
キャンティだか何だか知らないがあんな不味いワインは生まれて初めてだった。


別な意味で、ショックだったプレゼントは、なんと40万円の薔薇の花束だった。
それもたった5本の薔薇で・・・。
以前ブログに書いたストーカーの男性からの花束だ。
仕事中に人を介して差し出されたものだったが、彼は私との裁判中だった故、どのような形でも私に接触出来なかった、それなのに薔薇の花束である。
当然彼は罰金刑を受けた。それで40万円・・・。
仕事中に食事していたレストランにて、ちょっと席を離れたほんの10分弱ほどの間に起きたことだった。
どこから私を見ていたのか、席に戻ると赤い薔薇の花束が椅子の上に置いてあった。
レストランのオーナーも、同席したお客様方も、当然何も知らない。
みんな揃ってにこにこ顔で私を迎えてくれた。
「今日はきみの誕生日だったのか」
「今日はいい日だね!」
「モテモテでいらしゃるのねえ、羨ましいわぁ」
「花束なんかこうして一度でいいから貰ってみたいもんだわねえ」
「ステキな方だったわよ、私、ちらっと見ちゃったけど、入り口の所で」
人の良い、陽気なオーナーが私の肩を抱いて誕生日ソングを唄いだした。
お客様方も添乗員さんと共に、店のボーイさんたちまでが合唱してくれた。
私はただその場に佇んで微笑むしかなかった。
誕生日でも何でもない。
狂った花束なのだ。
翌朝、彼の職場に警部らが出向き、罪状を認めた彼はその場で手錠を嵌められて連行された。
彼としては2度目の手錠である。
そのレストランにも警部は立ち入り、親切なオーナーは全てを知ることになる。


今度の日曜日に開かれる「日本ケベック友好協会」のプレゼント交換は、各人2ドルのプレゼントだ。
大人の集まりなのに、今時の小学生のプレゼント交換よりも値が低い。
回りの友人らは、1ドルショップ(100円ショップみたいな店)で買うという。
それしか方法は無いとみんな言う。私も2ドルなんて初めてだ、戸惑うような安さだ。
日本の皆さんだったら、やっぱりこういう場合100円ショップですか?