ブログ効果

息子のインターン修行が少しずつ始まった。
時には、夜の9時頃まで裁判が長引くことがある。
現在、彼が担当しているのが、児童裁判だ。
これは通常の裁判よりもずっとずっと難儀なものらしい。
感情移入しそうだと、息子はよく頭を抱えている。
頑張って、今を乗り越えてほしい。


もう今やすっかりブログ中毒となってしまった私である。
私は「虜」と言いたいところだが、家族曰く「中毒」が適語らしい。
以前はこんなに長くパソコンの前に座るなどあり得なかったのだが、ブログを書くようになってからは、ひとつの習慣となってしまった。
人様から読んで頂くということが、人の目を意識して書くということが、こんなにもやる気を起こさせるのか?
思い返してみるとあの修羅場の秋を今年はいつになく楽に乗り越えられたのも、このブログを書いていたせいなのか?
忙殺される中で「ひたすら書く」という行為によって救われたことも確かだ。
ブログはまるで部屋のようだ。他の人のブログを訪ねるとは、各人のお宅をお邪魔するような感覚である。
たかが画面上でのことなのに、なぜこんなにも不思議な作用があるのだろう。
この特に冬の雪に閉ざされた世界で、ぽつんとひとりだったのが、今やぐんぐんと地球単位で飛び回ることが出来るのだ。
パソコンもデジカメもいちいち息子や夫に教えてもらってここまで来た。
パソコンのスイッチの入れ方も解らなかった私が、である。
そしてこの度、自分専用のノートパソコンを購入するに至った。
写真もすぐに載せたくてデジカメも買った。
すっかり生活は変わった。こんなに効果があるなど夢にも思わなかった。
日本の身内らからブログと聞いても、最初何のことかサッパリ解らず、なんかこうメールの変形したものか何かだと思っていた。
キーの操作より書く方が速いと信じていた私だが、もう今や手書きではもどかしい。
ただしブログをしながらでも、ちょっとしたメモはやっぱり手書きである。
パソコン横にメモ帳とペンは欠かせない。
健忘症がひどくなっている今日この頃に至っては、数秒前に頭に浮かんだ内容がスーッと消えてしまうこと度々で、メモしていないと話が前に進まない。
ブログを書き始めた頃、日本からの皆さんに訊いても殆どの方がブログを知らなかった。
カナダでも同様だ。だからおそらくここ最近で、ブログがすごい勢いで広がっていったのだろう。
カナダでのブログ人口もどんどん増えているが、それでも日本ほどではないそうだ。
デジカメの使いこなしも、とても日本には敵わない。
最近は、コメントこそしないが、あらゆる人のブログを訪ねることに夢中だ。
子育てに忙しそうな一主婦や一お父さんが、素晴らしい写真を撮っている。
何人かでグループを組んで、なんだか玄人もびっくりの、実に美味しそうなものを作っては集まって食事会を開いている。
そのうちのお一人でも我が家に就職しませんか?もちろんコックさんとして。
嗚呼、これぞまさしく夢の生活だ!残念なことにこのグループのアクセス情報を紛失してしまった。
以前に、藤沢でレストランを経営していた女性に、うちのコックさんになってもらえないかと話をしたら、本気で考えて下さったことが思い出される。
他にも、驚くほどセンスの良い若い女性カメラマンの作品鑑賞には時間を忘れた。
デジカメの撮影技術はまさしく「目から鱗」であった。
憧れのフィンランド情報検索中に、頭の切れる日本人女性の書いた、フィンランド滞在記も見つけた、お陰で北欧料理のレシピも増えた。
おやっ?と思ったのが、たくさんの質問事項を自分たちで作り、ブログ仲間内で回覧して各人それに答えるというインタビュー形式も楽しそうだ。
事項はたとえば「新聞」「海外旅行」「酒」「温泉」「肥満」「戦争」など、20から50問ぐらいに亘る内容で、各人がそれぞれに短く答えていくのが、どこの誰だか分からない方々だが、愉快な発想だと思った。どんな答え方でも構わない。
身分を隠している人、ぶっちゃけた人、各々が何の差し障りもなく答えていけるのだ。
どうしも嫌だという人には回覧しなければいいんだし。
ブログとは、とにかくこうして他人の考え方、他人の世界に触れることが出来るのが魅力だ。
今まではマスメディアを賑わす芸能人や政治家、出版物を通して知る作家など、とにかく公共の場に登場した人しか知ることが出来なかったが、今や地球人として、地球の住人ひとりひとり(もちろん一部の人に限られてはいるが、それでも確実に出会う人の数は以前とは比べものにならないほど増えている)との接触が可能だ。
私にはそれがたまらなく嬉しいのだ。
地球上に溢れる才能の数々には脱帽である。人間って本当に素晴らしいと痛感させられる。


また海外に住む私にとって、日本人との接触は何ものにも変えがたい。
本当に貴重なことなのだ。これは海外に住んでみないと分からないことかもしれないが。
日本人<<もちろん例外もいる、意地悪で嫉妬心と競争心丸出しで。ま、これは人種を問わずだが。
『類は友を呼ぶ』とはよく言ったもので、だからこの世はうまく出来ているのか>>、
特に日本人の反応というのは実に変化に富んでいて、澱まず、絶えず新しいことに前進しているので、
寄せられるコメントは本当に面白い。
まったく想像外のコメントもあれば、「なるほど」と考えさせられるコメントもあって、その変化が例えようもなく楽しいのだ。
「そんなの別に当然じゃないか。そんなに驚くような、感激するようなことかな?」と思う日本の方も多いと思うが、海外に出られたらきっと私のこの気持ちが分かっていただけると思う。
ケベックでは、男性だったら話しても楽しい人が多いが、こと女性となると話は別だ。
残念ながら話の出来る女性はほんのわずか、会話の内容が実に乏しく、何の前進もない会話がほとんど、何故なんだろう?当然のことを何度も繰り返して言ったり、そんなに可笑しくも無い事にいつまでも笑い転げてみたりと、退屈極まりない。
会話が5分持てば大したものだ。
これではどうしても男友達の方が多くなる。
その点、日本人は性別問わず、話をするのが本当に楽しい。
「押しても駄目なら引いてみな」的な前向き思考の出来る人種は、地球上では、もしかしたら日本人だけなのかもしれない。頭脳のつくりが決定的に違うのだ。
もちろん、日本人以外にも優秀な人たちは大勢いるが、日本人には、柔軟な頭脳の持ち主が圧倒的に多いのだ。
このように感じるのは、おそらく言葉や習慣が原因となっているのだろうと、何年もずっと信じてきたし、現に回りからもそう言われ続けて来た。そういう文献も多い。
しかし、違うのだ。多角な発想が出来るのは、絶対に!日本人に多いのである。
私も海外に住むひとりの日本人として、日本人の名に恥じないよう、誇りを持って生きていけたらいい。