人気の日本料理教室

娘のイザベルは、今日で2日連続のパーティー通いだ。
昨日は、地元の市役所が主催、そして今日は医療機関が主催のパーティーである。
彼女はとにかくパーティーが大好き!
ダンスやティラージュ(抽選会、例えばビンゴ大会とか)、アニマシオン(出し物、例えば手品とか、ユーモア小話とか、顔ペイントとか)というパーティー特有の内容が何よりも好きなのだ。
おそらくイタリア系の、明るく派手な祖母の血を受け継いでいるのか?
今月の19日に10歳の誕生日を迎えるが、たいへんなお洒落さんで、必ず外出する時は香水をつける。これも祖母譲り?
それも私の香水ではなく、自分専用の香水を持っている。
やはり娘なので、どうしても父方に似るのかもしれない。


ここのところ、雪もさほど降らず、気温も平均マイナス1度程度だ。もちろん周りは銀世界のままではあるが。


もうだいぶ前の話になるが、ケベックで日本料理を教えていた時代があった。
日本で、長男出産後は英語の教師をしていたので、人に何かを教えるのはこの時が初めてではなかった。
YWCAのカルチャーセンターで教えたのが一番最初である。
ここでは1セッション12回の授業、1単位が2時間だった。
それも1日に2クラス、13時半から15時半と、17時半から19時半に分かれていたので、2時間の休み時間は、後片付けや次のクラスの下準備に追われ、結局休む暇もなかった。
全部のクラスが終了すると、保育所に預けていた次男を迎えに行って、私が後片付けに追われる間、乳母車に入ったままの彼がグズグズ泣き出し、次のクラスの英語教師から「静かにしてくれ」と叱られる事度々であった。
教える時はYWCAの台所を借りるだけで、まな板から包丁、電機釜から鍋一式、湯沸かし器、米をはじめとした食材など全部運ぶわけだが、それがなかなかの重労働だった。
YWCAの台所に置いてあるものといえば、ガサガサのフライパンや、底の抜けたアルマイト鍋に、淵の欠けた食器が少しに、錆のついた包丁に壊れた湯沸かし器ぐらいで、とても使いものにはならなかった。
泊り客でこの台所で調理する人など稀だったらしい。
今こうして思い出しても、よくもあんな重労働が出来たなあと、我ながら感心してしまう。


まずセッション開始前に、12回分のプランを立てた。
まだケベックに来て2年足らず、フランス語もあまり達者でなく、殆どが英語での授業で勘弁してもらったが、レシピだけは必ずフランス語で説明した。夫がシナリオを作り、それを一生懸命読んで練習した。
あの時覚えたフランス語が今の生活に随分と役立っている。
メニューは、まず基本である「ご飯と味噌汁」からスタート、米のとぎ方からの説明だ。
その時、今でも忘れられないのが、生徒のひとりが「米の袋には、洗う必要が無いと明記してあるが、それでも洗わなければならないのか?」と第一声突っ掛ってきたのだ。
確かに、ケベックでは米を洗う習慣がなく、殆どの米袋に洗うのは不要と書いてある。
しかし、実際洗わないで使えるような米ではない。小石などのチリやゴミが混じっている。
だから洗った方が好ましいと説明しても、この文句を言った女性は不満そうであった。
他の生徒たちはみんな素直で、この不満の彼女に「先生はああ言っているのだから。」と彼女を嗜めていた。
そこで私と彼女の間柄が最悪になった、と思ったら大間違い!
彼女はラバル大学の経済学部の学長であり、交友は今に至っている。
学長である彼女のことをファーストネームで気さくに呼べるのは私を含め、ほんとに限られるであろう。
今でもこの米を洗う洗わないのエピソードは笑い種として語り継がれている。
学長は私を今でも「先生」と呼ぶのだが、するとまわりの人々がビックリ仰天で、その後はもう質問攻めである。
「先生とは何の先生ですか?」「日本料理?どんなものを教えるのですか?」
「どこで教えているのですか?」「え?もう教えていない?これから先教える予定は?」・・・
他にカレーライス、ラーメン(インスタントではない、まさか)、丼もの数種、お好み焼き、かやくご飯、てんぷら、すき焼きなどなど・・・・。
そして11回目の授業は生徒ら曰く「待ってました!!!」の寿司である。
巻き、ちらし、握りなど一応一通りを教える。
そして12回目のラストはおせち料理も含めて、和風パーティーメニューである。
まさしくこれは集大成である。
セッション終了後、それぞれのクラスの生徒たちからの拍手とプレゼント、そして時期的に丁度クリスマス前なのでクリスマスカードを頂いた。
中を開くと生徒たち各人からのメッセージと、お金も入っていたのには驚いてしまった。
約3ヶ月に及ぶ苦労も決して無駄ではなかったことを知り、臆面もなく泣いてしまった。
今でも各方面から日本料理を教えてくれないかとの問い合わせがある。YWCAからも授業終了後、1年に亘って、もう一度教室をと説得され、断り続けていると、今度は給料を最高額出すがそれでもだめか?と打診して来た。日本料理はとにかく人気がある。
あきらめたYWCAは仕方なく中国料理教室を開いたが、結果はさっぱりだったとのこと。
しかしもうあの重労働は出来ない。もちろん今の仕事を優先したいというのが第一の理由だが。
息子と一緒に設立した会社では、日本に関するコーディネーターをしている。
映画やテレビで、「日本人の食卓を作ってほしい」とか「お弁当(撮影用)を作ってほしい」などのリクエストがあり、塗りの弁当箱に色とりどりの弁当を作ったり、茶器をセッティングしたりと、実に楽しい仕事である。
他に着物や生活習慣の監修もしている。
教える時はもちろん、撮影時にも出来るだけ、スタッフの皆さん、ケベック人の皆さんに試食してもらっている。
梅干しや、味噌など、試食するみんなの表情を見ているだけで充分面白い!
寿司ブームのケベックではよく、寿司米はどうやって作るのかとよく質問される。
すぐに答えるのはシャクなので、いつもゲーム形式で教えている。

   
   ナル:「3つ入れますが何でしょう?」
ケベック人:「まずは・・・酢」
   ナル:「そう、なるべく米酢を使って下さい。次に?」
ケベック人:「えーと・・・なんだろう・・・味噌?」
   ナル:「寿司米が茶色になってしまいますねえ」
ケベック人:「あ、そうか・・・あ!わかった!醤油だ!」
   ナル:「・・・・・」
ケベック人:「うーん・・・降参!」


3つ全部答えられたというケベック人に今だかつて出会ったことがない。
嗚呼、たまらなく快感!