サアディの薔薇

私は薔薇の花が大好きだ。何色でも好きだ。
以前にイスラエルへ行った時、道端の彼方此方に薔薇が、まるで野生児のように咲いているのを見てえらく感動したものだ。
あんな乾いた、あんな荒地に、である。
薔薇を育てるのは難しいとよく言われるが、どうしてあんなにたくましく咲く薔薇もあるのだろう?野生だからか?
砂漠の中を車で走りながら、薔薇を見つける度に不思議で仕方がなかった。
それも色も様々で、真紅、淡いピンク、薄紫、アイボリー、オレンジや黄色と、実に見事な咲き振りだった。
キリストの時代からそうなのか?
聖母マリアが部屋に薔薇を飾っていたなんて表現は聖書にも見当たらないと思うが。


私が若い頃によく使っていたのが、資生堂のローズウォーター。
ボトルは四角っぽくてそんなに小さな瓶ではなかった。
ピンク色の液体にその少しクラシックな瓶がよく似合っていた。
確か化粧落しのように説明されていたが、私は化粧水として使っていた。
薔薇の香りがして、何故かそれをつけると肌がきれいになったのを憶えている。
アロマテラピーでも薔薇の香りが使われている。
『ストレスなどの精神疲労を和らげ、重くなっている気持ちを高揚させる効果がある。
吐き気や二日酔い、胸のむかつき。生理不順。不妊など。マッサージで滑らかな肌になる』
なるほど・・・
確かに肌に良いみたいだ。


13世紀のペルシャの詩人サアディが、薔薇に関しての詩をだいぶ残しているらしい。
残念ながらケベックで彼の文献は見当たらないのだが(どうしてなんだ!ラバル大学よ!)、いつの日か詳しく研究したい。現在のイランにはサアディの文献など数え切れないらしい。
当然ながら彼らの誇りでもある。博物館もあるとのこと、いつの日か行ってみたい。
私の好きなフランスの詩人マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモールが、このサアディの薔薇をもとに詩を書いている。
この詩はサアディ著『グリスタン』の序文に記されたひとつの逸話から、ヒントを得て作られたそうだ。
その逸話とは、すなわち、ひとりの賢者が薔薇園を訪れ、友人たちのために、自分の衣服の垂れの中に薔薇の花をいっぱい摘んで持ち帰ろうとした。
ところが、薔薇の香りがあまりにも濃厚で、酔ったようになり、思わず垂れの端を手放してしまい、花が地上に散乱したというのである。
サアディの原典は17世紀に翻訳されて、広く愛読された。
マルスリーヌはこの物語からインスピレーションを与えられ、以下のような美しい一篇の詩を書きあげた。



けさ、あなたに薔薇の花を捧げたいと思いました
けれど、あんまりたくさん、帯にさしこんだので、
結びめがきつくなり、うまくしばれませんでした・・・
やがて、結びめはとけ、薔薇は、とび散り、
風に舞い、全部が、海へ、落ちてしまい、
汐のまにまに、流れ去り、もはや戻ってきませんでした。
波は、薔薇で赤くなり、火ともえるようでした・・・
こんやもまだ、わたしの服には、薔薇の香りが残っています・・・
かいでみませんか、かぐわしい思い出を、このわたしの身から。
               〈『サアディの薔薇』より〉



薔薇とは関係ないが他にもう一篇好きな詩がある。



私は夢みてたのよ、あなたの恋人と、
呼ばれるようになったら、すばらしいのにと。
あなたの火ともえる翼の下に入れてもらえたら・・・
でも、死んでからでなくては、そうならないんだ
(・・・)
あなたに見つめられて、たまたま私の毎日が、
かき乱されるようになっただけだと、わかっていたんだから。
                〈『わたしは寒かったの』より〉



恋愛する時ぐらい、思いっきり相手に向かって倒れ込んでみたい。
自立した女なんかでいたくない。
鎧をすべて取り払い、ただ甘えるだけの、ただ傷つくだけの、
そんな状態で恋したい。


しかし・・・それにつけても、もう少し痩せないとな・・・トホホ。