冬の思い出

タケさんからいただいたコメントから、急に昔の冬を思い出した。
強烈な印象はやはり祖母の家である。
福島の泉にある木造平屋建てのあの家に私の思い出がある。
夏の思い出も強烈なのだが、これはまた次回書こう。
火鉢にのった鉄瓶から蒸気の上がるシューシューという音と共に、様々な冬の場面が思い起される。
木の雨戸を開けると庭一面の雪だ。
いとこ達とそこで雪だるまやかまくらを作った。
絵本か何かで見たのか、いきなり電気コタツかまくらに入れようとしてえらく大人たちから叱られた。
どこから電気を引こうとしたのか、そこで餅を焼こうとしていたのだが、そう簡単に絵本のようにはいかない現実に直面した。
こうして繰り返される希望と落胆の日々が私の子供時代だ。今でもそれは変わらないようだが。
昔は雪ににおいがあったように思う。私はそれを「空のにおい」と信じていた。
ケベックの雪はとても結晶が大きく、コートの雪を掃う時などガシャガシャと音が聞こえるのではないかというほどの結晶が落ちてゆく。
子供たちは「フラコン!フラコン!」といって喜ぶ。
餡子でも煮ていたのか、よく祖母の家では小豆を煮るにおいがした。
もちつきの日のにおいも忘れない。
練炭のコタツが座敷にあって、足は靴下が焦げるほど熱かったのに顔や肩が冷たかった。
朝早く、ママちゃんが豆練炭を長い鉄箸でコタツに入れていた。
夜になると少し冷めてきた豆練炭を何か特殊なケースに入れて、大人たちがそれを「あんか」として使っていた。
子供たちはドロップと呼ばれるユニークな入れ物に熱湯を入れて「あんか」にした。
夜、布団に入るとこの「あんか」が入っていて暖かい寝床で幸せいっぱいな気分で眠りにつく。
ありがたい暖かさだ。こうしたママちゃんの愛情が今でもふつふつと思い起される。
どんなに手の掛かった事だろう!こうして自分も大人になってその苦労が初めて理解出来る。
今のぐうたら私には到底真似出来ないであろう。
翌朝はそのお湯がいい塩梅になっていて洗面器に空けて洗顔に使った。
暖房といえば茶の間にあった火鉢と石油ストーブぐらいか。
壁と柱の間に頬をくっつけると寒い隙間風を感じた。だからこそ豆練炭や火鉢が平気で使えたのだろう。
石油ストーブといえば祖母の家ではいまだに使われている。
折角立派なエアコンディショナーがあるのにそれは殆ど使われずにまるで風景の一部化している。
時には目がチカチカと痛いくらいで「こんなに空気が汚いと病気になるよ」と文句を言うと、伯父がいきなり立ち上がって夜中だろうが窓を開け放ち、「これでいいべ」なんて言うのでたまらない。
ま、もちろん2、3分で窓は閉められるのだが、伯父の次なる発言はいつも決まって「このストーブでばあちゃんも長生きしてっかんね」と来る。
これには我々も返す言葉がない。
ところでこの石油ストーブ、実はケベックにも同じものがある。
なんとメイド・イン・ジャパンという銘柄もあるほどだ。しかしこちらでは室内ではなく、室外利用のみ、例えば氷上での釣りにとか、きこりさんたちが山小屋で使ったり。
日本ではこれを室内で使いますとこちらで云うと皆一様に「信じられない!」と目を丸くし、ついでに「現在103歳の祖母は長年これを愛用しました」と付け加えると絶句・・・・状態となり、次の言葉はしばらく出て来ない。愉快である。